午後二時三十分

二月半ば

 

一週間ぶり。

一週間の間、何人もの友人と会った。嬉しく思う日々が続いた。大学時代の友達MとK、友人M、幼馴染M、高校時代の友人S。一緒に入られて楽しい人が周りにいて幸せだ。

 

一週間に映画を二本見るというルーティンが出来たよう。だからこそ短スパンでブログを書きたい。記憶などを記録するべく。

先週は

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シャイニング(スタンリー・キューブリック/1980年)

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500日のサマー(マーク・ウェブ/2009年)をみた。

 

まず、500日のサマーは周りの反応に対して勝手に期待しすぎていたのもあり、星3って感じだった。 小説で読みたい物語かもね。活字にされた方が色々考えられるなと思った。「運命」「偶然」「愛」などに触れてた。

時間軸を行ったり来たりするのは、新鮮だった。何となく話の展開も想像出来るのと、案の定予想通りに進んでった。

 

次、シャイニングは面白かった。最近見たものだと一番終わった後に面白かった〜〜!となった。映画を見て感情を揺さぶられる系がすきな達なのを再認識されたのとストーリーの結末が理想的という2点で星4.5。(満点はほぼありえないので実質満足度100点) あとはエルトポでも思ったが言葉が少なく、映像や音楽でみる映画がすきで、そういう作品だった。印象深いシーンが多々。

・237号室の浴室の女性が腐敗した老婆だったシーン 

・息子ダニーが三輪車でホテル内を走り回るシーン

・エレベーターから血液色の波が押し寄せるシーン

・ジャケット?表紙?にもなってるシーン

・最後の冷凍されて死んでるシーン

思い浮かんだのはこの辺り。

面白かった兎に角。

この監督の作品はあと時計じかけのオレンジを見ている。比べるとシャイニングのが圧倒的に映像のインパクト、ストーリーの明瞭さがよかった。時計じかけは面白かったけ少々淡々としてた。絵の割に。

 

やっぱり基本的に家にいたい。ダラダラしていたい。映画が見放題のようなチャンネル加入したい。

 

あと、またiTunesのデータが消えた。

パソコンが苦手だ。なぜ消えるのか。寒いからか?と思ってるレベル。

外付けHDDが付いてるからデータは残ってるが、iTunes内から消えた。ファイルを選択しても意味をなさない。あと読み込んでデータとしてある音源が消えてたりする。これについては外付けHDD内の中の音楽データの中の中にあった。マトリョシカのように、、意味がわからん。iTunesに手動で移そうとするとこのファイルは使用中(使用してないのに)と出るし意味がわからなすぎてる。誰かに治してほしい。(おとん......助けて......)

 

音楽。

なんでこの界隈が視界に入るんだろうみたいなのを思う。でも答えは出てて、通ってきたから。ただ目に入れたくない。目障りだし耳障りだし、気障り。もっとすきなものだけ見ていたい。その周辺に対してあーだこーだ思うのとても面倒い。疲れる。辞めたい。

 

 

ほとんど毎週レンタル映画を見ているわけなので、毎週「今週はなにみたの?」と言った他愛もない話ができる友だちができたらいい...........まったく気配はないが。そういう会話の文化が身の回りに欲しい。いつでも期待してるし希望してる。そして、疲れてやめたやめたーっ!ってなる。

 

忘れてたけど、後少ししたら23歳になる。一個一個出来る事をしてく年にする。後回しにしてくとどんどんやになるから、失敗してもいいのでどんどんやったろう。そんな年にする。する。する。する。する。する。する。出来る。出来る。出来る。出来る。出来る。出来る。出来る。

 

最近「!!!」と思った曲

スイスの

音数の少ない打ち込み。テクノ。シンプル。シンプル イズ ベスト。

  

 全然関係ないけど、ふと思った事。

雨。雨は「重力」、さまざまな感情が膝下に溜まってそう。

 

昼前に起きて一本映画見切って、半分映画を見た。

 

昼寝する

二月(最近のこと)

 綴りたい気持ちとは裏腹に、綴りたい気持ちを水に流して行くよう生活を送って居ます。残念。
 

なんか年々ブスになってゆく自覚がある。そもそもがポテンシャル高くないのに、低くなって行ってる。笑えない。

まあそんなことについて書く気はなく、最近聴いている音楽と見た映画の記録。

 

音楽。

主にポストパンクへ興味が深い。70年代のパンク〜ポストパンク、ニューウェーブ〜という流れでポストパンクと言われるものの、得体の知れない感じが興味深い。憧れや理想、思想などとは少々かけ離れた所で鳴らされている音楽って感じで面白い。けれども楽しさやそのロックの精神である反骨や反抗といったものは強かに静かに感じられる。

聴いたバンドでの好みはchromepere ubu。あとDNAも気になってるが未だ音源を手にできてない。そのギターのアート・リンゼイについて「あの人絶対ギター弾けないよ」と言ってたのに笑った。先日は眠る前にうっかりchromeを聴いてしまったのだが「こんなん眠れるわけねーだろ〜〜!よすぎ!」と、一人興奮していた。アルバム一周聴いて寝た。

あとはルーリードのメタルマシンミュージックをやっとみつけて買った。

ケンゴマツモトのサッドオーケストラを聴いていたからか、聴くと何かが変わるとまで言われる作品であるが、心地よくて寝てしまっていた。ノイズでもこうも違うんだと、思った次第。

バズコックスも音源を手にした訳だが、パンクバンドだったら一番好きかもしれないな。

 

前の記事で少し触れたが、People In The Boxの「kodomo Rengou」のリリースがあった。人生において、このバンドと歳を取れる喜びは大いにある。前作のウォールウィンドウが兎に角懐の深さを感じる柔らかく大きな円の作品だったのに対して、今作は菱形のように角があるアルバム。イメージとしては菱形の中心は丸い窪みが深く掘られてあって、リードトラックとなったかみさまはそこに居るような曲。イイ。三曲目の町Aがとてもすき。地図帳を広げたり地球儀を回すワクワクを感じる。そしてそこに生活があるという実感。

 

映画。

エルトポとヒミズをみた。エルトポはクセになる、また見たい気持ちが沸々としてる。初見だと未だ嘗て見たことがない情景に目を奪われるばかりだった。

アレハンドロ・ホドロフスキー監督、1970年作、メキシコ映画身体障害者などが普通に映る。そして普通に殺される。正直有り得ないことだと思った。何故ならそのような方々はドラマでも映画でもアニメでもみたことがない。どこかタブー視していたのかもしれないとは思った。エルトポという主人公はヒーロー。息子を見捨てた。そしてその息子と未来で再会を果たす。

カテゴリはカルト映画のよう。わたしは映画にしろ音楽にしろカテゴリへの理解が乏しいので、カルト映画。へー。くらいで見てた。カルト映画とは熱狂的なファンがいる作品のことだと書いてあった。へー。次シャイニングみる。

 

ヒミズ園子温監督。2011年作。染谷将太二階堂ふみが素晴らしかった。生身の人間が映し出されてるにも関わらず、非現実的であり鬱屈とした画面を違和感なく覗き込めていた。スゴい。そして話の展開や結末がタイプの作品であっ

 た。でも所々、綺麗な服に着替えてたり、びしょ濡れだった服が乾いてるのには少々引っかかった。印象に残ってるシーンは染谷将太が絵の具を顔に塗りたくるところ。何処と無くあの行動にまで至る心境や精神状態へ同情とまではいかないが、分かると思った。遣る瀬無さ、絶望、虚無....でも間違いなく、染谷将太のそれらは計り知れないほど深い。

 

久しぶりにフォスターを聴いてるが好きだな〜。セカンド持ってた気がするがなんか見当たらない。探してみてなかったら買い直そう。彼らの創作の引き出しに毎度ビックリするから新譜を聴くのが楽しみなバンドってこういうところかなと思った。あとは、そのバンドの佇まいや作り出すもの何でも聴きたいと思うか。圧倒的に後者の心持ちで好きなバンドの新譜を聴くことが多いから前者の気持ちで聴くバンドは大切にしたいところ。

 

アー、来月デビューのキャベッジがすごく楽しみ。マンチェスターのバンド。

そうだね、バズコックスやニューオーダーや、ハッピーマンデーズや、ストーンローゼズ、スミス等の血筋。(そのつもりがあってもなくても)マンチェスターは俺らが担うくらいの音楽。たのしみ。

 あと、シェイムも良かった、デビューアルバムを買おう。

 

 ここまで数日かけて書いてた。今日は休日です。これを投稿して、とりあえずレンタルしてる物を返してまた借りに行って見よう。あとはペットボトルを捨てる。あとはゴミ袋を買う。洗濯物回す。

休日に化粧をしたくなさすぎるのと、服を着替えしたくなさすぎて外へ出ることが少ない。そんな休日がすき。お家に猫がいてほしい。そうしたらもう完璧。

 

歯磨きして少し身なりを整えて家を出よう

 

ジャニュアリー

部屋はずっと汚いが、食生活は落ち着いてる。一月は暴飲暴食を辞めると決めていた。結果として、胃袋が小さくなったか一食でお腹いっぱいになるようになって良い調子。

 

仕事を変えてからか、寒くなってからかはわからないが兎に角アイスクリームとコカコーラが大好きになった。

マクドナルドでセットを頼んで選ぶドリンクは爽健美茶だった人間が、コカコーラ大好きな人になった。

アイスクリームへの関心がほぼなかったがアイスクリームが大好きな人になった。今日も二本食べたぁー。昨日も一本食べたぁー。

甘いものを欲するに辺り、単純に疲れてる気配はある。

 

一月、

年越し前後は地元に帰り本当に本当の旧友(近所の保育園も小学校も中学校もずっと一緒)と遊んだ。

遊んだじゃないな、焼き芋をした。

元旦の朝、空気は澄んで空は真っ青で素敵な一日だった。

 

その後働いたり、おかんとロックの殿堂行ったりした。ロックの殿堂、企画展みたいな感じで日本でやってるものだが、メチャクチャ痺れた。あまり期待していなかったのもあるが。展示物もおお!となるものもあり、なによりわたしは年表とその年のポスターを眺めるのがとても楽しかった。毎年のポスターには受賞者が基本的に書かれてあって、イラストもあれば写真もあればで毎年異なってて楽しかった。

館内では授賞式の様子をシアターで公開しており、私が行った週はジェフベックとヴァンヘイレンとベンチャーズ。ヴァンヘイレンのサウンドが圧倒的に感じた。

 

ここ最近ダウナー。

悲しくはない。辛くもない。でもずっとアートスクールを聴いてる訳。

物心ついて堂々とできた事があるかと考えた時になかった。どうでもよくなったとき堂々としてるように見えるだろう。

 いつまで経っても自信なんてなくて、好きなものなどに対しては自信など関係ないが、好きだから空回りしてる。プライドが高いと言われた。ショックだったけど、ハッとするよね。本当に空回りしてるだけ。空回りしてるにあたって何が抜けてるかはわかんない。もっとしれっと淡々にすきでいればいい?正直ムカつく。好きなことに対して熱くなる事を馬鹿にされてるのか、そんな気持ちはココ(社会)に必要ないよと言われてるような気分。難しい。ひたすら不器用。

 

好きな音楽のリリースがあった。ライブを見た。七年前くらい、その世界に浸りこんでた感覚が再び沸き上がってきた。

 一番美しいとも心地いいとも気持ちいいとも痛いとも思う音を鳴らしている。

音楽なんてただそれだけの話ですよね、趣味がいいとか悪いとかない。すきな音楽がその人ごとにあっていいもの。

 

あと先日怒られた。

小さい頃から怒られてる時に反省する顔が出来ないみたいで、怒ってる人をさらに怒らせてしまう。この間もそう。

Sexy Zone菊池風磨さんも以前何かで、芝居かなんかの練習にノーパンで挑む的な話をしてて、なぜなら怒られた時俺ノーパン何だけどな笑笑みたいな気持ちになると言ってて、すげえわかるって思った。怒ってる人って怒ってることに気分良くしてか、正義感か、責任感がわかんないけど必要以上に怒る人がいる。それを少しでも感じてしまうと萎える。ソレ。こういうこと思ってる事に対してクソっぷりを感じる。素直じゃないと言われるけど、悲しくなる。そう思うことを否定される。世の中の人はもっと脳みそで生きてるよう。完全に私は心で生きてる。どうやらソレは子ども。

 

どうすりゃ脳みそで生きられるようになるのか。

23歳の課題。 

 

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ぜんぜん脈絡はないが、推され隊よ永遠に。

 

 

2017年、ありがとうございました

2017年も終わり。

22歳になって、どんな一年だったか振り返りそれが良かった日もあれば、悪かった日もあるが、良かったことを思い出し思い出を鮮やかにすることで、しょうもない人生を満たす感覚を知った。 

満たすことが、まともかまともじゃないかはわかんないけど。いつの時代最高なはず。と、思ったのは先日アートスクールを見てのこと。十代、彼らの音楽を聴いてきた私は相変わらず私のまま。続いてくしかないんだなと思わされた。

 

話は変わりなんていうか、最近猛烈に脳みそが萎んでってる気がする。言葉が思い出せないし、人の名前も覚えられなくなってるし、何より文章がつくりあげられない。

今日指摘された言い間違い。週休九日(言いたかったのは月に休みが九日)、体のボディ(言いたかったのは体のボディライン)、金曜日って何曜日ですか(言いたかったのは金曜日って何日ですか)、オレンジジュースとみかんジュース(言いたかったのはオレンジジュースとアップルジュース若しくはみかんジュースとりんごジュース)。

兎に角、頭がイかれてる.............

自分では言いたいことを言ってるつもりだから、ハッ?って顔されて気づくんだけど、この手の言い間違いしかしてなくて、そろそろヤバいと思った。

どう考えてもヤバい。わかんない、言いたいことを言えてない。イかれすぎてる。マジで。

ここまで書いて、今日の体験からも思った事は、私の場合言いたいことがあるとき言葉を発する行動が優先されて、思考が後回しになる。そして、言いたいことがない時ほど相手の顔色を伺いつつも言葉を考えるんだ。わたしはこうやって会話をしてるなと思った。

その点、ブログは自分のペースで自分の言いたいことを言葉に出来るからこの場がすき。

音楽が出来るわけでも、絵が描けるわけでも、自分を着飾れるわけでもない人間。でも喋れて言葉を伝えられることは出来るんだと思った。でも、致命的に文章を書くことが下手で、伝えることも下手でいつまでも独りよがりな言葉しか持て余してない。それでもいいのがここだから自分のブログたまに読み返すと面白い。

 

話は変わり、少し前の文章でも触れたがART- SCHOOLを見た。

友人の言ってた「木下理樹というマーケティング商法」を痛感した。その友人のワードセンスがすきで、正しくでしかなかった。なんとなしに私はどんな音楽が好きか考えた時、アート見ながらふと思ったのは、伝わってくる音楽が好きなんだとわかった気がした。かっこいい音楽もすきだが、単純にかっこいい音楽でも演奏がうまい音楽でもなくて、下手でもダサくても伝わってくるものが好き。

それ故に古典的なロックファンの思考なんだと思った。精神論あってのロックであることなど。

かっこよくても何も伝わってこない音楽は私の中ですきにはならないんだとわかった。かっこいいし、良いと思うけど、って感じで、何か言える立場でもないがいまの音楽シーンにはその手の音楽が多いなってのは感じた。

それこそ、先日敬愛する方がツイッターで言っていた「聴取体験はどこまでも個人的で、絶対に他人とは共有できないから、音楽が好きだな。」という価値観で音楽を聴いてきた身なので、他人にトヤカク言うつもりはない。

ただ、私の場合は改めてコレから音楽聴いて好きかも、好きだって思った時は何が伝わってきたかを考えよう。って感じでたのしみ。すきな音楽を聴き返したくなってる。

 

なので、洋楽も言葉はわかんないけど、伝わってくるもんがあるから好きなんだよ!って胸を張れるようになれる。

これまで私はそれこそ神聖かまってちゃんのロックンロールは鳴り止まないの一節にあるように、「なにがいいかぜんぜんわかりません」けど!!!なんかいい!!って感じで聴いて、「言葉がわかんないのに何で聴いてるの?」などと強気で来られたら、「それは、、えっとー、、、えーっとー、、、」(ただのおしゃれで聴いちゃってるのかな?邦楽に飽きたから聴いてるのかな?邦楽を舐めてるのか?洋楽厨の手前か?)などとナンセンスなマイナスな考えになってしまうけど、それこそ何かが伝わってくるから好きなんだ!ってことだ!!!!

少しばかりスッキリしたな。だから好きだよ、私は洋楽も邦楽も。

 

 先日職場の人にすきなアーティストを三組上げるとしたら?と聞かれて答えられなかった。邦楽部門洋楽部門作っていいとして、BUMP OF CHICKENNIRVANAはそれぞれひと枠に収まるのだがそれぞれ後2枠が非常に悩ましい。

邦楽はそれでもでんぱ組.incPeople In The Boxではないかと思う。

洋楽は本当に悩ましい、なんならUKとUSとand more...で分けたい。

そうしたら、USはNIRVANAストロークス、the spint band かなと。UKだとローゼズ、ニューオーダー、ブラー、ジザメリスーパーグラス、イエス....あとスミスもフーも、国外は年代別にしたいレベル。この類のこといつも言ってるよな。

 

今日はジザメリが心地いい心持ち。気持ちよすぎて魂が昇華されていく。ただの物体になる感覚。

 魂って言葉が存在してる世の中にいる。

 

「soul(人の肉体と対比される)〔人の意識・思考・感情・意思などの能力の源と考えられる無形の実体。〕」

 

先日ケンゴマツモトのノイズ作品を買った。上に書いた気持ちよすぎて魂が抜けてく感覚。ジザメリ然り歪んだ音がすきと言うことでノイズには早い段階でたどり着いたが、そこは終点だと思っていた。そんな忘れていたノイズをグッドタイミングで作品にしてくれたケンゴマツモトに感謝、

 

2018年はまずはお金を貯めたい。

下書きがスゴイ

Instagramの自己紹介がすきな曲だけで構成出来るようになってた。

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これから自己紹介する際は、「名前はおとぎ話というバンドの曲名にあります」「誕生日はP-MODELというバンドの曲名にあります」「星座はSyrup16gというバンドの曲名にあります」と言いたい。職場がかわった際当たり前のごとく自己紹介をしたけど、名前言って終わったし、そんなの付き合ってけば嫌でも知る事だし、こんくらいふざけていいと思った。どうせ聞いても忘れるし興味なんて初っ端からあるはずもないんだから。

ふざけ倒したいんだ〜〜人生。

で、それぞれの曲について。

おとぎ話のYUMEもP-MODELの3/4もその曲の存在は今年知った。何方もアルバムの一曲で、そのアルバムはわりとヒョンな事で知った。P-MODELに至ってはハッとした。3月9日というレミオロメンの曲があったけど、365分の1でその日をセレクトして、その日に生まれた人は確率的にラッキーでしかない程の出来事だから運命の如く感じるな、と思ってた。だから、3/4(March 4th)というタイトルの楽曲がCDの曲目に載ってるのを発見した時、目がカッとなった。疑ったり。それと何がヤバいって加えて発売年が1995年。私の生まれ年。1995年3月4日に書かれた曲なのかなとも思った。レコ屋で見つけたけど、その時金がなさすぎて買えなかった。というか今もないのだがいち早くほしい。舟という題のアルバムだ。

おとぎ話は去年出たアルバムで、アルバム自体とってもいい。ディスクレビュー的なの死ぬほど出来ないから何も書けないけど、すき。太陽の賛歌の後半約三分のインストとか。すき。おとぎ話のボーカルの声がクリアだからか周りの音が歪んでいてもクリアな声はより綺麗に耳に聴こえてくるんだけど、このインストはそこそこノイジーでそのノイジーさはいつもならノイジーな上にのってより綺麗に聴こえるボーカルがなくそのままを受け取れるから、アルバムの中ではビンタされたような感覚になって耳に残ってたんだろうと思う。そもそも歪んでる音が好きだから、こういうことされると弱い。イチコロ。

最近、自分の好きな音や好きな耳障りなモノがわかってきた気して音楽聴くのが少しいつも以上に楽しい。

 

最近思った事の一つに、アイドルのハモりがサイコーという件がある。

きっかけはそれはそれは(インターネットで出会った)旧友に当たる友だちに連れて行ってもらった、20年目のモーニングコーヒー。という題のカフェ。そこへ行ったのを思い出して先日モーニング娘。のデビュー曲かな?モーニングコーヒーを聴いた。時代が変わったんだと感じた。アイドル全盛期である80年代といえば歌唱力抜群で(ピンクレディーもいたけど)、やっぱり松田聖子さんだったり小泉今日子さんだったり中森明菜さんだったり、森高千里さんだったり、ソロのアイドルがアイドル界隈のメインっぽかったけど(リアルタイムを知らない為曖昧)、その80年代のアイドルがプロならば、デビュー曲のモーニングコーヒーのみで言うととても素人っぽく素朴で、可愛らしくていい。いっぱいハモってて尚よい。

モー娘。の良さの話に変わるけど、それが2枚目、3枚目(抱いてHOLD ME)(すっごいすき)で急に色っぽくなる訳だから、あー、いい。

抱いてHOLD MEのラップがもうそれはメチャクチャ好きなんだけど、ここ本当に天才。つんく天才。つんくさん天才なのはわかってたけど、ここのラップのとこで脳天から天才って岩投げつけられて砕け散るほどに痛感した。女だから詞にたいしてメチャクチャわかるのは当たり前だけど、それを男性が書いてるところがスゴイ。映像もスッゲーよくてすき。もうここ好きすぎてすぐ興奮する。

話がメチャクチャ脱線したが、そうモーニングコーヒーのハモりはいい。アンドハロプロはハモりが強いよね。°C-uteの悲しきヘブンなんかももろに。

女の子のアイドルだけじゃなくて、ハモりいい!って思った途端好きな曲がだから好きなのか〜とも思えて、それがTOKIOのラブユーオンリーとか、ヘイセイジャンプのなんだっけ....2枚目に入ってる...スーパーデリケート、、!も正しくその類で、スーパーデリケートに関してはハモりが薮宏太さんと八乙女光さんというアレで優勝はしてるのだが、尚よい。

 

というところまで書いて、四日後くらいに書いてます。

 寒くなってきた。寒いのが好きだから嫌じゃないが寒い。

早くも今年が終わる。ヤバい。人生三年間分ぐらいの時間かけて止まりながらつぎはどうするとか考えたい。マジで何で永遠にエスカレーターに乗ってしまって何十階にまでも行かなくてはいけない。19階くらいでどうするか本気で考えたかった。ヤバい。

とか言ってるうちは何も変わらないのはわかってるんだけどね!

 

下書きばっかが溜まっていってる〜〜〜〜纏まりのないしょうもない記事だけど、とりあえず投稿。

夜間

取り柄も何もなく終いには人にヤバいヤバいとしか言われない身だけど、猫と音楽が好きなのことは生まれてきた使命のように感じている。そんなこと明らかに自己満足で馬鹿げている話。

 でも私にとって猫は大好きな友達に出会うより前からずっと膝の上にいたし、音楽は友達が友達じゃなかった頃、友達と話をして笑うように泣くように聴いていた。

 

仕事を変えて二ヶ月が経った。前の仕事に比べてみたら断然に楽しくて、嫌な事は少ない。それだけで満足してる。でもそれだけじゃダメでまず職場ではなによりもスピードを求められている。かつ丁寧に、ミスは無くせ。無理だろと思う。しかし、無理という言葉も禁句。出来ない理由を考えるのでなくできる理由を考えろ。確かにそうだ。ただねえ、それは綺麗事過ぎる現状や状況にもう少し耳を傾けてもいいと思うよ。と、思いつつもいそいそと働く。

 

社会人やってるけど、社会人には社会人の正解、上にいく術がある。それに対して程遠い言動を繰り返している。遅刻も欠勤もしてないけど、ヤバいって言われる。わかってるっちゃーわかってる(なんとなくな)。これが私だとしても許されねえから社会はヤバい。だってそのままだと社会人としてヤバいよと言われる。人格をヤワに否定される。ウケる。わかった、いいからもうゴミだと思えよ。多分この姿勢も完全に社会ではアウト。それこそゴミとして捨てらる気する。無理ダー。

 

音楽が好きなだけで今の職場いるけど、ぶっちゃけ音楽が好きとかどうでも良さそう。好きな音楽の話とかメッチャどうでも良さそうだし。そんなことより働けって感じ。とりあえず今の職場では三年くらい勤めないと、社会人として生きるのであれば私はこの先道がないのでやるけど。その間に何か見つけたらそっちにすぐ行くかもという所用。やりたいことってなんだろ〜な〜。実家継いでさっさと農家になるのもありだと思ってる。でも一つ譲れないのが日光に当たるという事だけなんだ。中学の仲のいい友達とずっと言ってる農園がやりたいな。ぼんやりぼんやり本気で。後は、アメリカでも行って暖簾かけてレコ屋やりてえな。レコードって暖簾作って。そしていま完全にノリで文章を書いてる。

 

想像力。

恐らく想像力という類の力がない。想像力を働かせてと言われ、ピンと来なかった。想像力とは?兼ねてから思っている事だが、私は無常観の価値観が強い。だからかなとも思った。嫌な事があったとき、どう考えるかというと目の前の事実が全てだし受け入れる他ないと思う。勿論悔しかったり悲しかったりするけど、全てはそうなった。そうなってしまった他ない。そうやって物事は始まったり片付いて行くのに、想像をしてどうするという考えが無きにしも非ず。だけど、この考えって死ぬほどナンセンスであることはわかってる。屁理屈のようだしね。だからこそ、どう解釈すれば良いのか知りたいが、他人の考えなどで納得いったことはなく、このまま。

 

兎に角流れに身をまかせがちだ。 

 

これが魚座だ〜〜って感じの文章でしかなくて、さっき魚座の性格を見てみたらごもっともの内容が連なっていて安心した。

なかなか文章にはし難い事にはなるが魚座でググって出てくる文章に不思議な出来事を体験する。みたいな事がある。そういう出来事は凄く多い。勝手にシンクロを感じる事が多い。馬鹿げてるけど、本当にある。カレーとか。あまりにも一方的だから、相手に伝えようと困らせるだけなので言いはしませんが。

 

2018年の目標というものを立てなくては。

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11/18付け

スマートフォンを見る時間が減ってる。インスタグラムも最近は見ていなければ、ラインもほぼ使ってない。二日に一回充電するかしないかで行けてる。

 

代わりと言ってはなんだが、仕事が休みだった今日は映画を一本見て本を一冊買った。

 

スマートフォンに用事が無い為する事が無い。だから本を買った訳だが読書家ではない。買って満足してる節はある。ハマるとハマるが恐らく夏前から本は読んでない。その時読んだ本の内容は全く思い出せない。なんなら、一年くらい前の読みかけの本の内容のが覚えている。常々ボーッとしてる感覚。日々。そのくせ一日がすぐ終わってしまうから時間という物を無駄にしている感覚も比例している。

 

ここ一年で心持ちの変化を感じる事が多い。いくつかあるが、他人からどう見られたいとか、こうは見られたくないとかの意識がまるっきし無くなった。前回のブログでもかいたが、どうでもよくなった。自分に対しても他人に対しても。書いていて思ったが、自分に対してどうでもよくなったという事っぽい。

エスエヌエスでの発言だったりは正しくのような話。呟くことに意味を感じなくて辞めて早数年。やっと正解と思えてる。

 

最近見た映画の話。

スワロウテイルを見た。岩井俊二さんの作品。あと何回ともみたい作品だった。二時間半近くある作品だが、最初から最後まで画面に釘付けだった。

人一倍映画に集中する力がない為、二時間半もの作品を集中して見きっていた事が、ある程度の意味をなしてる。

作品に対して、まだ消化しきれてなければもう幾度か見ねば消化出来そうにない。きっと近いうちにもう一度は見る。岩井俊二さんの作品がやっぱり好きだった。色味や空気感。高校生の頃か、リリィシュシュのすべてをみた。それはそれは一定の界隈で(絶大な)人気があった作品で、わたしもその界隈に足を突っ込んでいたので、まあ見ていて。きっとたぶん今見たら絶対に感じるものが当時とは違う。だから見ようね。

 

 あと台風クラブという作品を見た。世界観と言えば世界観だが、舞台は間違いなく日本の田舎。中学生のお話。多くの人が通ってきた環境が舞台。でもどこか現実離れしてる光景が写る。1985年の作品だからなのかはわからない。けどそこだけじゃないと思う程に不思議光景が映る作品だったな。三上くんだっけ、彼の最後の言葉には考えさせられるものがあった。

 

考えていることはすぐに忘れる。

買い物しよう、何買おう、何しよう、と考えてた事があるのに実際に街へ出るとすることがなくてビックリする。忘れてんだか必要ないんだかわからない。

 

相変わらず話が飛び飛びだ。

病は気からという。わたしは献血をする度にアルコールで赤くなって「お酒弱いでしょ」と言われるのに対して本当にお酒が弱い気がしてきた。まず今までは何なんだという話にもなるが、強くはなくて弱くもないと思ってた。でも弱いっぽい。ビールはジョッキ半分飲めば身体が真っ赤になって、動悸で死ぬ。悔しい〜〜酒ガバガバ飲める人になりたい。調子の良し悪しはある。

 

思考の穏やかさ。思考が穏やかになった。お陰で感情が荒れている。ムカつく人に対してムカついてる感情を出してることが多い。でもその後は普通に接する訳で、これはこれでいいのかと思う。感情を抑えると思考が歪むような気がする。以前までというか十代の頃は思考を歪ませ感情にどっか蓋のようなものをしていたとも思える。でも感情を表に出してしまうようになって、どっか情けない、ダサい気にもなる。と、思うも今日なんかはムカつく点に対して思考で何がムカつくかはわかったからイイ。

 

昨日職場で「顔が死んでる」×3。「なんか眠そう」×1。と、言われた。

似たような事を毎日言われる。高校の頃は「顔が白すぎるのは病気か?」と授業中に先生から言われた。死んでるつもりがこれっきしもないのに死んでるらしくて笑う。毎度辛い笑笑笑って返してる。生きてます!!!!!!!!!

 

毎日あっという間におわるけどこうやって文章がたまって行くと、日々些細な何かはあるんだと感じて、淡々としていると物足りな気な顔をするのは早いなと思う。こういう思いはラーメンに浮かぶ油のように軽々しい故に、どこか毎日に淡々としていると感じる要因にも思える。こんなもんなのかな。

 

あと最近気づいた事があって、わたしは冷たいご飯が好きっぽい。コンビニのおにぎりがメチャクチャ好き。毎日2種類は食べてる。やっぱり全部門のナンバーワンおにぎりは、ファミマの明太マヨである。もち米部門ではセブンのおこわがうまい。お赤飯はお赤飯自体大好きだが、食べたくなるのはセブンで他のは食べたことがない。コンビニの話のついでにおにぎりじゃないけどアメリカンドッグは絶対セブン。そんなにおすすめしないのはファミマ。セブンとローソンは表面カリッとして香ばしく美味しい。ファミマはその点劣る。コンビニにはほぼ毎日言ってしまう。なんなんだろうかというくらいに吸い込まれてしまうよ。

 

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