豚の肉
最近好きな音楽を聞かれる機会が幾度かあったが、聞かれた瞬間頭が真っ白になるアレは何だろうか。「好きな音楽........なんだろう........」と間違いなくなる。当たり障りなく好きだよな〜と考えるバンドを申しあげる。ほおー、ふーん、いいねー言った反応をされることが多い。あれれれれれとなる。ふーんと言った相手の反応を巻き返すことも出来ずに、「だよね」とどう好きなのか、何が好きなのかといったことはその瞬間にすっかり忘れてしまう。話が全く出来なくなる。
どうしても満たされない事の方が多い。
満たして欲しいなんてこれっぽっちも思ってない。自分で自分を救えないことにもがく。
いいんだ〜〜〜。この部屋で春を待つ。
大森靖子さんのユーチューブにあったコメント。
ひょっとしたら私だ。大森靖子さんの闇ではないとして、音楽の闇に隠れて自分がどっか行ってるのに少しだけハッとした。もう戻る自分がない。
昔ジュゲムで誰にも読まれないブログを書いていたことがあった。そこが私の居場所だったけど、死ぬほど何もかもがどうでもよくなった時に消してしまった。後悔している。が、最近此処が少しばかりその時文章を綴っていた感覚で書けている。ちょっぴり何かを取り返せた。(気がする)
悲しみの分だけ強くなれるよ、なんて全部ウソだった、幻だった〜〜〜〜。
他人の感性ばっかで生きてしまい、消えちまった。冷蔵庫で死んだ豚の肉が腐ってくような人間。誰が殺したんだろうね。
生きにくさの心持ち
高校生の頃に好きだった服を着たり選んだり、買ったりという行為が苦痛になっていた。
何を着たらいいかわからない。人が見てる。お金がかかる。年相応。流行りには乗りたくない。この理由としては、電車で似た服を着てる誰かを見たら萎えるから。比べてしまうから。必然的に劣っていると思うから。好きな服を着たらいいと思う。だが好きな服と言えば、パジャマ。新宿や渋谷に平気でパジャマ着て行けてしまって、会う人の反応に凹むだけなの。アハハハハ。
先日四十代と六十代の方にバブル時代、一世風靡をしたマハラジャ(復活版)に連れて行ってもらった。流行りの肩出ししてるおばさんがたくさんいた。とても綺麗だった。踊っているおじさんとおばさん。そこの空間には女と男がいて、女は女らしさで全ての評価が決まってしまう空間だった。つまり、女にカテゴライズされる私に生きる術はないと思った。そう思ったらいきなり世界が閉ざされてしまった。
東京は楽しい。東京は出来上がってる世界がいくつもある。若者の街原宿。古着の街下北沢。居心地の良さを探し求めつつもどんな世界なのか覗きに、色んなところに足を突っ込んでは、ここでは無いと感じ、後退る。後退りの先はレコード屋さんだったりして、いつから私は私以上に音楽を好きになってしまったのか。色んなことする度にすり減ってゆくこれっぽっちもの自尊心。こんな状態にある時出来ることは、音楽を聴くことだけ。
最近聴いたもの
直近だと以上の三枚。
この中では、アニマルハウスが良かった。一曲一曲に裏と表というか、1と2があるようなアルバム。ライドの方のハンドですね。中古屋で中々欲しい音源が見当たらない最近。
その他だと、oasisやblur、くるりをよく聴いていたりしている。
今日はnirvana聴いて、明日を迎える。
徒然
好奇心でナチュラルに出会い系と言われるアプリをインストールした。
インターネットに張り付いてあっという間に時間は過ぎるし、目まぐるしくて疲れる。現代ってこんなにも目まぐるいんだなと思った。もうなんも興味なくなる。だけど、インターネットをスグ確認してしまうのが私である。故に、インターネットに振り回される事を嫌いツイッターやラインのアカウントを消しまくる人間である。なんか得体の知らない何かに蝕まれて受動的に過ぎる時間が嫌いなんだよ〜〜。それと、何処か消費されてる気にもなる。そんなもんかな。
ただ、うだうだ言っても知らん人と話するのがとても楽しい。ので普通に楽しいです。
ツイッター開設したが、何にもしていないし。つぶやくことがない。
昨日の生活の中で呟ける事としたら、
「バジルクリームパスタを作った」
「その後石釜ピザ屋さんでピザ食べた」
くらい、でつぶやく必要がこれっぽっちもない。
みんな何を呟くんだ。
あ、でも、じゃなく、関係ないが、先日近所の橋に座り込んで髪かきあげて、片膝立てて撮影会してる女がいた。正直めちゃくちゃ引いた。なんやあれは........恐怖。
休日は友達と会いまくった。
二日休みがあり、幼馴染×1、大学の友人×3、高校の友人×2と会った。たのしい×25745952。
いっぱい写真を撮ったつもりだが、振り返り見るともっと楽しい瞬間を切り取りたかったわ!と思う。けど、人話してるとそんな訳にもいかないじゃんね。
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6月8日(木)
SISTER JETを聴いて、少しだけセンチメンタルになっている。
キラキラしてる。中学生から高校生にかけていっぱい聴いてた事を懐かしむ。改めてとても素敵な音楽だなって。一番邦楽ロックを聴いていた時期で、2008年〜2012年位だと思う。
テレキャスターというギターに惚れた時期もここら辺。カラッとした底抜けな音が率直にタイプ。
この頃の、邦楽ロックシーンは水色や黄色だった。渦を巻いていた。そこにとても暗い緑色が注がれてたりした印象。
今は、ピンク色や黄緑、青がストライプのように塗られてるイメージ。すっごい抽象的なイメージでしかないけど。
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ここまでの数日沈んだりもしたけど、ぼちぼち保ててる。何かに頼りながら。
数日前は渋谷でマック赤坂さんとツーショット撮ったりもした。
変なの〜〜〜〜〜〜〜。
この日、数時間でお酒ポクポク飲んでたらしばらく気持ち悪くてしんどかった。お酒はボチボチ飲むように。
あとは来週楽しみなところへいく。
あと、ボランティアも始めた。
ちょっと音楽聴く時間が減ってるかも。
多分そんな感じです。
週一ではジムに行ってます.......週2が理想だけど.........
諸々
先日大根を腐らせてしまい、もやしも腐らせてしまい、今日は腐らせてしまった茄子を捨てた。
じゃがいももそろそろ芽が出てきた。玉子はとっくに期限切れ。
毎日お弁当を作っているが、どうしても使いきれない食材がでてしまう。お弁当も出来れば毎日同じような食材を使うのでなく、ローテーションのようにして使いたいと使っていると次第に少しずつものが残ってしまう。また、朝ごはんは料理して食べないし、夕飯はトマトやキャベツを食べているため、消費しない。しかしそれに相反し、野菜は安いと買ってしまう。
農家の娘なので、人々が汗水垂らし育てたお野菜だということは承知しているつもりでいた。けれど、現時点自覚しているだけで行動が伴っていないことを反省して、上手に料理が出来るようになりたい。
話は変わるが、先日のトレーニング結果。5キロが31:00。始めは歩いてたのでそれがなければ30:00切れたかもしれない。この日は、頑張って一時間走り続けたいと思っていたが、40分走って辞めてしまった。心拍的は余裕あったのだが筋力がついて行かず、足がとても重くて、とてもじゃないが走り切れなかった。これ又悔しい。
暑くなってTシャツばかり着て楽をしている。フーのTシャツはとても気に入ってる。友だちがくれたもの。
上から先日、先日、一昨年の写真。
一昨年くらいからTシャツにパンツのスタイルばかりで夏を越してきたが少々飽きてきたので今年の夏、なにか違う服装をしたいな。ワンピースもすきだけど、靴と鞄が手持ちで合わせられる物がなく、着てない。
と、いうのも上のような格好だと、家と外で服装があまり変わらないので、もう少し着飾り外出したい思いがある。
でもバンドTシャツとアニマルTシャツは趣味として収集して行きたい。
ずっとyesのTシャツが欲しいと思っているのだが、中々お店で見かけることがない。Neil YoungとDavid Bowieも欲しいけど見かけないな。どなたかバンドTシャツが揃うお店を知っていたら教えて下さい。数年前に出たsupremeのニールヤング、
因みに、The Whoを着ていた日はタワーレコードへ行きました。何を買ったかと言うとHey! Say! JUMPのライブDVDを買い、実は昨日もAmazonにてこの間買ったやつの前作を買いました。何がすきなのと聞かれたら好きなものが好きと答えよう。
と此処まで昨晩書いたが、眠くていつの間にか寝てしまいました。
明け方の雷で目を覚まし、もう朝だ。
そして此処まで昨日書き、6月2日20:32に改めて書いています。
6/3 10:53
また書き足しています。
タワーレコードで買ったHey! Say! JUMPのライブDVDなのですが、幼馴染と見て、二人しんどさに耐え凌ぎ、現実世界で生きている強さを認め合いました。
兎にも角にも、画面上はファンタジーであるのに、リアルだという矛盾に頭がついていかない。ファンタジーで落ち着かせておくのが合理的だが、いや待てよとなれる現実をどう受けいれるか。
とても良かった。ジャニーズという組織から生み出されるコンテンツ力の凄まじさを、身を持ち感じた。
誇れるMADE IN JAPAN 。
話が変わるがいまとてもポテトチップスが食べたい。アルフォートを食べたらポテトチップスが余計食べたくなり半ば困っている。食べたい。
ここ最近よく聴いている、KEITH
トレーニングを始めた
市営のトレーニングルームに行くことを始めました。理由は単純。デブだから。
でも元々スポーツマンなので、動くことは嫌いじゃない。
そして、とにかくランニングマシンが好きで、筋トレもしたいがそっちのけで走り、疲れて帰ります。
ランニングマシンは使用時間が決められており、一時間使えるのが4台と三十分使えるのが4台あって、三十分を走りきるというつもりで走ってる。まだ二回!
先日行った時は目を瞑って走ってたら、どんどん後ろに行っててマシンが急停止してしまい、時間と距離の計測がキチンとできずだったが、今日は三十分キチンと走りきった。距離は4.8キロと5キロは走れなかったことが悔しい........
次からの目標に30分で5キロ以上走るという目標を掲げる。
5キロ以上走れるようになってきたら、距離を伸ばすというより、時間を伸ばしたい。
走り方が今は時速9.7くらいで走り出して、10分くらいから10キロ、20分から徐々に早くして行くイメージで走ってて、正直ラスト2分とかこれ以上走らないからという気持ちで精一杯にスピードあげてるので、長い時間走れるようになるのが理想かな。
いずれは、フルマラソンを走りたいという密かな目標があるので。
私はどうやら今の外見や身なりが、運動が出来なさそうに見えるらしいのですが、運動はとても得意な子どもでした。そして、そこそこ実力もあったはずなので過去の栄光で終わらせるのも悔しい!という思いで、今年中に一度挑戦したいがまあ長い目でみてフルマラソンを走れたらいいなと思ってる。
あと運動する社会人サッカー的なのは入りたいかも。サッカー出来ないから、バレーボールか野球〜〜〜〜。
スポーツは楽しい!
取り敢えず、私の人生、現時点で負け てるので勝つためにがんばる。
ツイッターを始める
タイトル通りツイッターアカウントを作りました。
〜私のインターネット遍歴〜
12歳(2007):tea cupチャット開始
13歳(2008):リヴリーアイランド開始
14歳(2009):前略プロフィール 開始
15歳(2010):mixi HP 開始
16歳(2011):Twitter 開始
17歳(2012):tumbler 開始
18歳(2013): (ツイ廃)
19歳(2014): :
20歳(2015): (???)
21歳(2016): 引退
十年の歩み。今は亡きティーカップチャットでは音楽の部屋に入り浸り、小僧ながら楽しんでいた。正直いまでも戻りたい場かも知れなくて、恋しさある。
ただ、そんなこんなで過ごしてしまった青春時代に激しく虚無を感じ、一昨年から去年にかけてツイッターアカウントを消してインターネットを引退した気でいた。
けれど、またはじめちゃうよ。友だちが欲しい〜〜。ツイッターうまく使えなく楽しめない自分に腹が立つ。楽しみたい。
@musubu_i
彼方から此方への通行はしないように、記事を載せるようなことはしない。あくまでも此方から彼方への一方通行でやっていきたい。何卒。
わたしがすきなブログ
久しぶりに食べてしまった。痩せなくてはと決めた日以降、だいすきなラーメンを食べてこなかったけど、折角という思いで食べたよ!美味しかった。とてもボリューミー。中太麺を濃厚なつけ汁につけて啜る。添えてあるすだちを麺に絞れば、お口に爽やかな香りが広がり鼻に抜け、脂っこさを回避している気になるのでとても良かった。
帰り道はルンルンしながら、andymoriを聴いた。最後の武道館をみた日の方が遥かに記憶としては新しいのに、そのずっと前に見た野外でのandymoriを思い出していた。六年前の夏の話だね。
掴まれて離さないような感覚じゃなくて、磁力で引きつけられてしまってるかのように、雨降る中ポケーーーーッとジワーーーーーンと見てた。瞬く間だった。
部屋着にandymoriを着る!
ところで、度々はてなブログを辞めてはまた始めてみたりを繰り返しているが、わたしがすきなブログは、淡々と一瞬が切り取られていたりするものがすき。
一瞬の感情でも、体験でも、思考でも。
特に、音楽といった芸術の領域に対するそういうものをみるのがすき。
有益であるような記事、ディスクレビューやおすすめアーティスのまとめは、新しく音楽を聴く機会にもなるし、何から聴けばいいか手探りの状態に出会うととても参考になるので、常々有り難く思う。そして、その世界中に散りばむ音楽を一つの観点から纏める事が出来る人は素晴らしい。
客観でありながら主観。主観でありながらも均一性が保たれるものを選べる才能。
何がいいたいかと言うと、嗜好とは主観で、必然的に偏りは持つもの。
だって、音楽が好きって言って、じゃあ何が好き?となったときに「ロック」「アイドル」「洋楽」などと、答える。
自分の五感で捉えた物を、評価する難しさたるや。自分の定規しかない状態で評価というものをしてしまう怖さ。
だから、私にはディスクレビューやおすすめアーティスの紹介といった事が出来ない。微塵も。
少々大袈裟になってるが、ニュアンス的にそういうブロガーにはなれない。に、近い。
このアルバムの何曲目がすきだな〜〜ってのを、こっそり書くくらいがいい。
けど、そこに共感を多少なりとも求めてしまう私は愚かである。
いずれにせよ、
絵描きにとっての絵や書道家にとっての書、小説家にとっての小説がどんなに輝いているものなのか知りようもない。
美はそれぞれの心の中に現れるものだ。
自分を主張することはあるし、時にぶつかることはあっても、人の心の中までは知り得ないのだ、という謙虚さをいつでも持たなくちゃいけないなと思う。
何がその人の中で起こってるのか、想像はできても実感できない。逆に、人からなんと言われても自分が美しいと感じたものは美しい。
それは人に認めてもらうものじゃない。
そっと心の中に抱いていればいい。
小山田壮平さんのブログを読み。
改めて、そっと心の中で抱き続けていようと思いました。