รเดีนาืเะะีต
最近、ちゃんと生きてる。(つもり)だけど「何か食べたい」「飯」に頭なのか心なのかを蝕まれて、歯車が狂いがち。相変わらず。
ご飯食べてる時だけ唯一何にも考えないでいられるな。「飯美味い、サイコー」「谢谢」「アモーレ」とだけ、感じている。一瞬すぎてムカつくからずっと食べたくなる。仕方ないのに、許されねえ。
別にブログやめたいわけでもないし、続けたいわけでもないけど、周りに振り回されてやめたくなるのってしょうもないな。相変わらず。
書き方だってすぐ変わる。誰も見ていないサイトでブログ書いてた時期があって、さっきそこを久しぶりに覗いたらこんな感じの私がいたからこんな感じが私なんだろう。
わたしには正義がない。正義は怖い。正義があった方がきっと生きやすいのに怖くて持てない。
フォスターザピープルのヘレナビートという曲の前奏を永遠にリピートして、布団に潜り込んだら宇宙へ行ける気になるけど行けないよね。
トランプさんが大統領になるみたいで、世の中が面白くなりそう。悲観も楽観でもないよ。心が奥の奥でワクワクしちゃってる。
あと最近なにを思っていたかな。そう、自己開示が出来るようになってきた。すこしだけ能動的に生きられてる。はず。
終わる
血中成分
十月になって、お皿の隅にとっておいた大好きなプチトマトを口に運んでプチっとトマトを噛みしめるように、音楽を聴いている。
ゲロ
頭痛
わたしは生まれた時から傍に猫が居続けて、小学校にはニワトリとかウサギとかカメとかザリガニとかメダカとか、家にも犬とかウーパールーパーとか飼ってた。
それでいて、動物園に行けば檻に囲われている象とかライオンとかを見る。
なんかずっと不思議。
で、大学は動物の事を学びたいなって、ろくに考えてなかったけどぼんやりと感じていたことを選んだ。器用貧乏とはわたしのことを言うようで夢はずっとないし、中学生の頃は数学で8点取った屈辱だけで数学者になりたいと言ってたクッソな人間。進路を選ぶとき音楽も同じくらい大好きだったから少し考えたけどなんていうか没個性な人間だからおんなじもの好きな人と関わる事が怖くてやめた。情けねえ〜けど怖いしわかりあえないと思ってる、年齢的にも。
そんなこんなでいま大学四年になって、就職活動はしてない。何と無くできちゃう性分が何と無くやったところで意味ないからやってない。それだけ。
四年感で学んだことといえば動物の話は下手に出来ないってこと。だからただネコ飼いとしては佇んでいる。けど、学校を卒業するわけだし、それを踏まえてなんかけじめをつけたいから書いてる。
本当にわけわからんくなるし、なんか動物について語ってる人はそれを正義のように語るから怖い。それをアイデンティティかのように振る舞うし。宗教とかそんなようなのに似
ている。
って思ったこと言ってみたけど、本は読むと頭痛くなるからよんだりしてない、語彙力も何とか力なんてのは大してない頭の悪い人間の話だから突っかかってこないで欲しい。こわい。ごめんなさい。
お肉だって食べてます。ねこだって飼ってます。ごめんなさい。
正義のように語ると言ったが、そのような訴えだってわかる。
動物園は文化施設だ。と言ってた動物園出身の人の話を聞いて、なんかもうどうでもよくなったんだよな。アー、もう肉食うのも文化だし動物売買するのも文化か。へーって。
わたしはただ何が良くて何が悪いのかわからないだけ。良いことが山ほどあれば悪いことも山ほどあって、良いと思う人も山ほどいれば悪いと思う人も山ほどいる。そう、だから何か正義を持っている人達はそこがしっかりしていて素晴らしいと思う。説得力ある。
もう頭痛くなってきたけど、頭痛くなる。
肉も豚が殺されるところを見たって食べちゃうし、鶏も自分の手で捌いたってうまいうまいって食べちゃうんだよ。
悪いことなのかな。悪人になるのかな。わかんねえ。
とりあえず頭いてえ。