一日目

昨日の夜、5/6まで職場の休業が決まりました。こんなこともう一生ないだろうから日記をつけようと。

 

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平日は7:30目覚ましをかけようって事で今日目は覚めたものの布団から出られずいつのまにか寝てて、目覚めたら10:00過ぎくらいだった。目覚めて犬猫にご飯あげて洗濯機回して、支度して犬の散歩に1時間。犬ご機嫌でした。この顔です。

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円グラフにしてるから文章にする意味ないなと思うのでやめ。とりあえず初日終了。の前に、一応食事の記録もしておこう。偏りがすごいので。

食事①

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食事②

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※①は食べてから写真撮ろうと思い、少しずつ減ってます。左の汁物はサッポロ一番の塩ラーメン。

 

まあこんなもんだしちゃんと食べてる方な一日のご飯でした。

 

改めて一日目終了。

今日は天気が良くて犬な散歩で駅前まで行ったら普通に人が出歩いてた。その人が仕事かどうかまでは分からなかったが、思ったよりいるなあという印象でした。大丈夫かなあと心配に。

 

休業の間、毎日腹筋50回と映画一本(見れなくてもアニメドラマ一話)見るって事にした。本日どちらもクリア。映画はミスト観た。ちょっと昆虫のカサカサした音とかブーンと飛ぶ羽音が気持ち悪すぎて辛かった。映画館では見たくないやつでした。内容はネタバレ含むのでやめます。

 

わたしの場合、犬と猫が家にいてくれてて比較的退屈しませんが、一人暮らしの人退屈するよなこれ、、、と心配。

 

どうかみんなが健康であり、状況が落ち着いたら元気に会えますように。ちゃんとおうちに居ます!

人付き合い

クソどうでもいいのにスマホを手に持てば見ちゃう、知人や他人の動向をインプットするのに疲れたのでインスタアプリ一旦削除。疲れた疲れた疲れた。どうでもいい。だから見たくないのにアプリ開けばスクロールしてしまって自分が不甲斐ない。なんで見ちゃうんだ。普通に依存症かと。まあいい、かつての同級生に抱いてた感情に似ている。その当時はツイッター。インスタ自体は嫌いじゃないし離れた友人の投稿は見たいけど、ほんと職場の人のがムリ。ということで、アンインストール。仲良くできる人も居れば出来ない人がいる。割と大体出来ない。って事に最近よく気づき余計やになってる人付き合い。ムリっすわ。特定の誰かとかはないんだけど、なんでかあらゆる人との間に必ず距離があるし、壁を作ってる気がする。まあいいまあいい、しらないしらない。みんな好きな人と人付き合いしてくんだ。大丈夫大丈夫大丈夫。大学生の頃は、実家暮らしだったので大学にうんざりすれば大概中学高校の友だちと遊んでたけど、都内に出てきてそういう関係の友人が少なく、はけ口というか落ち着ける空間が本当にお家しかない。親しい友人に会いたいなあ.........................................................仕事にも少々疲れちゃってねえ。

膀胱炎

膀胱炎にて下腹部への心配が過剰におきてる。常におしっこしたい感覚、常に残尿感。「膀胱炎 治し方」検索 薬飲まず的確な治し方ないみたい? ひたすらに我慢。このトイレットペーパーがろくに買えない時に膀胱炎にて無駄にトイレットペーパーを消費してて馬鹿げてる。

 

眠れない日、たまに覗いてしまう元恋人のバンドのツイッター。いつかどっかで会えそうなんだけど、そうなったら直後に死んでしまいたいな〜〜。とぼんやり思う。って事は精神が疲れてるから。鬱っぽい。仕事が辛い。好きなことでやり甲斐のある仕事だと思ってるが、知らんところで話が進んでて後よろしくと言わんばかりにぶん投げられる物が増えた。それに対しての連絡や確認、諸々と自分の要領が悪いからか負担を感じてる。先日、事前に予定してた職場での集まりをドタキャンしてしまった。前日に眠れなかったのと、身体が痛かった理由もあるが、単純に行きたくなかった。職場の人はよく度々飲みに行ったりなどしてるみたいだが、プライベートで職場の人と会うのがずっと苦手なので単純に行きたくない。人付き合い、私生活、仕事、いまなんだか全部にエネルギーを消費して、燃料切れのよう。

 

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ここまで書いて、数日後の休日。コロナの影響を受けた短縮営業で帰宅が早まり少しストレスが緩和されたよう。犬の散歩や食事を挟んだものの丸一日Netflixを見ていた。「このサイテーな世界の終わり」がとてもよかった。ネトフリオリジナルドラマだが、音楽担当でブラーのグレアムコクソンが携わってるからか、劇中のサウンドメイクが素晴らしい。例えば血がブシャーッと出るシーンでもブシャーッという効果音等ではなくオールディーズなBGMをセレクトするセンス。2人は間違いなく人を殺したが、結果として正当防衛で無罪になったので、そういう事であの演出だったのか?なるほど、っとも思わせてくれる感じだった。

明日は膀胱炎の病院へいこう。

 

 

 

無題

浴槽にて、好きだった人を思い出す。別れを告げずに別れた今でも思い出した変な気持ちになっちゃうもんです。人を好きになることが滅多になかった私が好きになっちゃったもんだから一生この感情が付きまとうのは納得出来る。現状に対して不満もなければ今の暮らしも幸せすぎるのでいつか壊れるんではと思ってしまうほど。私のこと好きになってもらった以上、一生付き纏ってやりたいナ〜〜〜〜と少しは思う訳だが、実際は何もしないのでメンタルヘルス的な診断はできないだろうよ。

 

おじいさんよありがとう

令和元年十月十七日実家の祖父が亡くなり、十月二十一二と通夜告別式をとり行い、ひと段落した本日、山梨を離れる。

 

話を聞いてから三日は仕事の都合もあり東京にいて、通夜の前日に山梨へ帰った。もうしばらく病院に入ってた祖父は、次第にベッドで寝てるだけになっていっていたので、覚悟というものはせずとも死をすんなりと受け入れた。だからか悲しみはほぼ全くなく、ずっと寂しいと思っている。

 

悲しい:つらくて泣きたくなるような気持ちを表現するとき

 

寂しい:本来あるものが失われ満たされない気持ち。人恋しくもの悲しい、心細い

 

心は病まず痛まずだが、もう居ない事実が、とてつもなく寂しく思うわけだ。空白が空いたよう。今までの二十四年の人生で、家族として一緒に暮らしてきた人がこの世からいなくなった。坊さんが言うにはこれから仏のお弟子にはいり良き仏になるらしい。仏として他をいつくしみ、あわれみ、苦を取り除いてくれると言う。なので、なんかあったらおじいさんが仏になって助けてくれたんだと思って私は現世を生きようと思う。おじいさん、宜しくね。

こう言うことは考えたら考えただけ、涙が溢れでてしまうので、ここ二日間は何も考えずにいたわけだが、一人でトイレに入った途端や布団に入り眠りにつく前ふと思い返されては幾度と泣いてしまってた。

 

今回母方の父を亡くし、死というものを一番間近に感じた経験となった。小学生か中学生の頃、父方の父を亡くした際は、年に一度会えてたかどうかの土地に住むおじいちゃんだったというのと、年齢を踏まえ、死を受け入れる事が出来ていたのかもわからない。ただただ火葬を行うまでに棺に杭を打ったりとがとにかく悲しく寂しくわんわん泣いてたのは覚えてる。

 

一通り終え、思う事は写真を撮って残しておこうということ。自分が写真に写ることが嫌いなので、データフォルダは基本的ねこといぬばかりだが強くそう思った。嫌いとか好きとかじゃなくて撮っておかないと、人はいつか死に居なくなるのだからと。そしてその人と過ごしたという事実や思い出を記録として残す手段として写真を撮ろうと思った。

昨今、インスタグラムで、インスタ映えやフォトジェニックなどと言っていい写真(ここで言ういい写真は、見栄えの良さを目的とした写真)を撮りたがる人たちが身近にも巷に多く溢れかえり、それらに対してどうも気味の悪さを感じ、居心地の悪さを感じて居て写真というものを敬遠してしまっていたが、本質に立ち返る事ができる気がする。どうかこの心を忘れずにいたい。

 

六人家族が五人家族になったわけだが、だいすきだったおじいさんはこれからわが家を天国からしっかり見ていてくれると思い、わたしは私として生きていかねばな。

 

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