おじいさんよありがとう

令和元年十月十七日実家の祖父が亡くなり、十月二十一二と通夜告別式をとり行い、ひと段落した本日、山梨を離れる。

 

話を聞いてから三日は仕事の都合もあり東京にいて、通夜の前日に山梨へ帰った。もうしばらく病院に入ってた祖父は、次第にベッドで寝てるだけになっていっていたので、覚悟というものはせずとも死をすんなりと受け入れた。だからか悲しみはほぼ全くなく、ずっと寂しいと思っている。

 

悲しい:つらくて泣きたくなるような気持ちを表現するとき

 

寂しい:本来あるものが失われ満たされない気持ち。人恋しくもの悲しい、心細い

 

心は病まず痛まずだが、もう居ない事実が、とてつもなく寂しく思うわけだ。空白が空いたよう。今までの二十四年の人生で、家族として一緒に暮らしてきた人がこの世からいなくなった。坊さんが言うにはこれから仏のお弟子にはいり良き仏になるらしい。仏として他をいつくしみ、あわれみ、苦を取り除いてくれると言う。なので、なんかあったらおじいさんが仏になって助けてくれたんだと思って私は現世を生きようと思う。おじいさん、宜しくね。

こう言うことは考えたら考えただけ、涙が溢れでてしまうので、ここ二日間は何も考えずにいたわけだが、一人でトイレに入った途端や布団に入り眠りにつく前ふと思い返されては幾度と泣いてしまってた。

 

今回母方の父を亡くし、死というものを一番間近に感じた経験となった。小学生か中学生の頃、父方の父を亡くした際は、年に一度会えてたかどうかの土地に住むおじいちゃんだったというのと、年齢を踏まえ、死を受け入れる事が出来ていたのかもわからない。ただただ火葬を行うまでに棺に杭を打ったりとがとにかく悲しく寂しくわんわん泣いてたのは覚えてる。

 

一通り終え、思う事は写真を撮って残しておこうということ。自分が写真に写ることが嫌いなので、データフォルダは基本的ねこといぬばかりだが強くそう思った。嫌いとか好きとかじゃなくて撮っておかないと、人はいつか死に居なくなるのだからと。そしてその人と過ごしたという事実や思い出を記録として残す手段として写真を撮ろうと思った。

昨今、インスタグラムで、インスタ映えやフォトジェニックなどと言っていい写真(ここで言ういい写真は、見栄えの良さを目的とした写真)を撮りたがる人たちが身近にも巷に多く溢れかえり、それらに対してどうも気味の悪さを感じ、居心地の悪さを感じて居て写真というものを敬遠してしまっていたが、本質に立ち返る事ができる気がする。どうかこの心を忘れずにいたい。

 

六人家族が五人家族になったわけだが、だいすきだったおじいさんはこれからわが家を天国からしっかり見ていてくれると思い、わたしは私として生きていかねばな。

 

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