綿100%

相変わらず、下書きばかりが溜まってる。猫が道端で死んでいたことや、誕生日を迎えたこと、最近聴いてる音楽のことや、見た映画のこと。あとはきっと、保健所に連れて行く猫の準備をする人間。

どれもさして重要なことではない。どうでもいい事象。どうでもいい事象についてしか書けなくなってる自覚がある。心は凝り固まり、脳は活動を自粛している。脳を機能させる必要がない。それに伴って怠惰な行動しかしてない。

 

先日行った谷川俊太郎さんの展示で心に残った言葉があった。それはおそらくバカボンの中でも語られた言葉なんだろうけど、「自分はとっても傷つきやすいから 自分は自分に優しくするのだ」と書かれていた。そういうことかと、思考する暇もなく瞬間的に深く納得をしてしまった。

あと一個心に留めておきたい言葉があったのに、帰宅して寝たら忘れていた。こんなもんかと惨めになる。その場では絶対に忘れないようにと復唱に復唱を重ねて完璧に覚えたはずなのに。

内容は、美しいものほど、偽物に近づいていく。みたいなことが書かれていた。美しいかも偽物かも、定かではないが、ニュアンスはこのようなことを書いてあった。真っ当に生きれば生きるほど霞んでしまうのだと思った。馬鹿げた悲観的な思考だ。インスタグラムでハッシュタグから写真見回しても見つからなく、正解がわからない。この詩に対しては、十代の頃に読んだとしても、分からない事なんだろうと思った。それは何処か悲しいことで、それが世界でそれが世間なんだと、改めて突きつけられた感覚。

 

久しぶりに身体も心も重力に押しつぶさてる感覚のなか、憂鬱に包まって眠り呆けた。目覚めても憂鬱で無力。

悲観が凄い。絶望に近い。そもそも希望があったから絶望をしているんだろう。希望が絶望に転がる時というのは大体イメージが実物として目の前に出てきた時。五感で捉えた時。イメージの段階はどうしても脳で美化してしまう。だから尚更。

 

全く関係ないけれど、今年誕生日を迎えた次の日、ホッとしている感情が全面にあった。初めての感覚だった。毎年どちらかというと無条件に訪れるとっておきの日が終わってしまった悲しみだったりを感じていたが、今年は違った。正直とてもびっくりした。相変わらず大したことのない誕生日でしたが、ホッとしたので今年もこれでよかった。

 

 上記のように憂鬱な気分だなと過ごしていたら頭痛がしてきて、喉にも違和感がある。嫌な予感。最悪。と、寝る前にここまで記し寝たらそんなこと丸一日忘れてたほどに平常運行している身体よ。

 

 ALというバンドがいる。年明けに彼等は2枚目のアルバムを出した。メンバーはandymoriで活動していた小山田壮平、藤原寛、後藤大樹と、ソロのシンガーソングライターで活動していた長澤知之。情報などこれ以上必要なのか?もう十分だろうと言った存在感。それだけで十分聴くに値する。1枚目も聴いてるけど、2枚目も凄くいい。すごくいいよジョブ。

 

見てた映画

ホーリーマウンテン」「太陽を盗んだ男」「サクリファイス」くらいか...あと2本ほど途中で辞めたのがある。

 

Gateballers、先月発売されたセカンドを聴いてる。改めて落ち着いて聴くとメチャメチャ良くてほんのり感動もした。誰かに似てるな〜って思ってたけど、ずばりオウガ。声のトーンが、オウガ。インディーロックの脱力感、形容しがたい遊び心が一瞬の気持ち良さがパッと花火のように打ち上がる瞬間があって、その一瞬は聴覚へ神経が一直線に向かう。

 

あ〜〜寿司が食いてえ〜〜〜〜〜〜。

 

綿100%のパジャマを着られる季節。気持ちがいい。眠り呆けたい。

 

「Gateballers」

今回のアルバムの収録では「やくそく」になってる。歌詞にレインコート逆さまにしてとあるが、レインコートもさかさまもオウガが連想されてしまう。どっちも好きな曲である故。サカサマがいちばん好きかもしれないくらいに。オウガ見たい気分が凄い。

 

少し前まではポストパンクからの流れでインダストリアルを齧っていた。さっきはオウガやおとぎ話を聴いていた。そして今はAviciiを聴いたりしてる程に感覚は軽々しく移りゆくものです。

 

 週末だ〜〜〜〜〜〜。眠り呆けたろう。