冬、浮遊、富裕

先週から急にやたら寒い。なんなら、その前日めちゃくちゃ暑かったから、騙されてるだけではないのかと思ってた。けど、暦はもう十月半ば.....早い。(10/19付け)お久しぶりです。

あと二ヶ月と少ししたら年の瀬。早い。

ところが早いという感覚が当たり前・普通に感じるようになってきている感覚もある。早いという感覚って私の場合、幼い頃に比べての感覚か体感そのものなんだろうけど、そうだとは言い切れなくて一体何に対しての早さなのであろうかと思う。この違和感は何なんだ。そもそも早いのかって話にも思える。

 

10代の頃とかそれなりに考えごとをしていた気がするけど、そんなこともなくなってる。嫌だ。嫌だというかあの頃考えていたことがどっかいっちゃってる。何だったんだろうか感。今といえば目まぐるしく移り変わる日常、お金を稼がなければ生きられない、お金を稼ぐには働かなければいけない。そんな生活の中で人の流れについていく(流される)のが精一杯で思考を巡らす余裕がない。何をしても断片的になる。そしてそれは押し流される。つまり無。

それでも久しぶりにブログの記事を書くページを開いてみたら意外と文章は出てくるもんで、ちょっぴり嬉しい。

 

仕事を辞めてから此処での時間が止まっているが、仕事辞めて次の仕事までの2週間程は実家へ帰りゆっくりして、引越して早くもお友だちが二人来てくれたり、夜行バスで新潟へ行きBUMP OF CHICKEN見て来てたりした。本当はもっと時間的には余裕があったがお金がなさ過ぎて無理だった。計画性がまずなく辞めた故。新しい仕事を初めて二週間と経った。情報量に圧倒されて、一日難なく終えられる事へ気を張りブログを更新する余裕などなかった。新しい仕事場では教えてもらう一個一個に対して、習うより慣れろの心持ちでいる。頭で理解するより体で覚える方が得意だ。

兎にも角にも、容量が一人暮らしのゴミ箱ぐらいしかない私には、駅やデパートやファストフード店にあるぐらいのゴミ箱の容量が必要だと感じている。そのくらいにキャパシティが足りてない。

 

そういえば、あっという間に寒くなったと言ったが音楽で季節を実感する。今年はフジファブリックの赤黄色の金木犀を聴く前に、金木犀が花を散らしていた。もしかしたら、ただ単に金木犀が近くになかっただけかもしれないが、聴かなかった、2017年は。

 

話しが飛び飛び。

今晩はThe Spinto Bandの1stを、目を虚ろになりながら聴いている。

昨晩の帰り道は百々和宏さんのうたうGood Dreamsを、頭を電柱にガンガンぶつけてグッタリしたい気分で聴いていた。そして寝る前にフジファブリックのクロニクルを。

、と言うのは三日前の話。 寝る前にちょこちょこ書いては下書きに保存しているが故、時を刻まず時をぶった切ってる。(更に数日後に書き出している。)

その後はART-SCHOOLを聴いている。もう四、五日アートばかり聴いてる。高校生の頃よく聴いていたバンドの一つ。当時はなんだか木下理樹という人間が怖かった。なのでアートは好きだったがどこかでハマっては行けないという躊躇いがあって、聴く時に薄い紙を一枚通じ聴いていたような感覚がある。でも改めて聴いてもすき。そして薄々気づいてはいたが、何となく木下理樹さんと趣味嗜好が似ている気がする。故の怖さだったのかもと感じている。

 

またいきなり全然関係ないが、

スピッツ、3枚組のベストアルバムの三枚目の最後の一曲。

スピッツは小学生の頃にどハマりしたBUMP OF CHICKENより前から親の影響で耳にしてきた音楽。それでも聴いてないアルバムがちょこちょこあってすきだけど自信持ってすきと言えない。聴いてないものがあるから。ってことであまりスピッツが好きだと言ったことがない。

で、この曲を聴いて、客観的にスピッツのファンは幸せだなと思った。そんで日本人として音楽ファンとして私は幸せだと感じた。胸が苦しくなってしまった。カッコ良すぎて。美しすぎる。

 

また仕事の話に戻る。人間関係編。一言で、やっぱり新しい環境って馴染むのが難しい。絶対私は浮いてるだろうし、あいつはと言われて(思われて)るんだろうなと感じている。被害妄想の思っているというとは違い、感じている。何となく。矛先が私じゃなくとも、周りの人はそれなりに周りの人のこと言ってておっかねーって感じている。怖いっていうかねちっこい、湿ってんなといった印象。そこでわたしもサッパリと振る舞うのでなく、第三者だという感じでそうなんだ〜と同じように湿っぽくなる。まだよくわかんねえ人が居るので、もう少し周りの人を見て見て生きる。

仕事編。兎に角思考していない。わからないことがわからない。ただの欠落点でしかない。何がわからないのかわからない。けど、わからない。そこでじっくり考えるとするとボーッとしてると思われる(それでよく注意を受けてきた)し、時間が勿体無いと言われそうで怖い。教えてもらってないことに対して、違うよって言われるのわりと腹立たしくてファッキンって思ってる。

 

11/1付

秋を心から受け入れた。街の空気が気持ちよくて思いっきり息を吸う。

やはりどう転がっても、寒い方が好きだ。外気が五感に馴染む。

 

それはどうでもよくない事だが、どうでもよくないと言う気持ちは対象に届く術がなければ、所詮どうでもいいにしかなりさがらないのかと思っている。

悲しくも寂しくもないが、考える事は出来るから一体何なんだろうか。

 

先日仕事してる時に思い出した事。

新潟にBUMP OF CHICKENを見に行った際、チケットを譲った方も帰りのバスで隣になった方も、当時のわたしもみんな無職だった。そんなこともあった程度の話だが思い出すと同時に元気かなと思った。

 

11/2付

アートスクールやシロップ十六グラムやノーベンバーズを聴いている。

つまりそういうことでしか無くて、疲れている気がする。コンビニで買うコーヒーも今までガムシロップとミルク一つづつで美味しく飲めてたけど、ガムシロップを二ついれても物足りない。甘味、足りない。

思えばここ最近人とまともに話をしていない。業務連絡はしているが、わたしがわたしとして考えや気持ちを伝える機会がない。それでも溢れかえるものがなかったから気づかなかった。今まで人と話しをする時はそんなものばっかだったのに、特にへっちゃらになっててこうやって年を重ねて行くのかと思うと、遣る瀬無い。生きるとは。ンなこと考えても一日は当たり前のように過ぎるから生きるけど。

 

書きたい事、多分きっとまだある。

また今度。