ずっと前の下書きをとりあえず投稿

11/18付け

スマートフォンを見る時間が減ってる。インスタグラムも最近は見ていなければ、ラインもほぼ使ってない。二日に一回充電するかしないかで行けてる。

 

代わりと言ってはなんだが、仕事が休みだった今日は映画を一本見て本を一冊買った。

 

スマートフォンに用事が無い為する事が無い。だから本を買った訳だが読書家ではない。買って満足してる節はある。ハマるとハマるが恐らく夏前から本は読んでない。その時読んだ本の内容は全く思い出せない。なんなら、一年くらい前の読みかけの本の内容のが覚えている。常々ボーッとしてる感覚。日々。そのくせ一日がすぐ終わってしまうから時間という物を無駄にしている感覚も比例している。

 

ここ一年で心持ちの変化を感じる事が多い。いくつかあるが、他人からどう見られたいとか、こうは見られたくないとかの意識がまるっきし無くなった。前回のブログでもかいたが、どうでもよくなった。自分に対しても他人に対しても。書いていて思ったが、自分に対してどうでもよくなったという事っぽい。

エスエヌエスでの発言だったりは正しくのような話。呟くことに意味を感じなくて辞めて早数年。やっと正解と思えてる。

 

最近見た映画の話。

スワロウテイルを見た。岩井俊二さんの作品。あと何回ともみたい作品だった。二時間半近くある作品だが、最初から最後まで画面に釘付けだった。

人一倍映画に集中する力がない為、二時間半もの作品を集中して見きっていた事が、ある程度の意味をなしてる。

作品に対して、まだ消化しきれてなければもう幾度か見ねば消化出来そうにない。きっと近いうちにもう一度は見る。岩井俊二さんの作品がやっぱり好きだった。色味や空気感。高校生の頃か、リリィシュシュのすべてをみた。それはそれは一定の界隈で(絶大な)人気があった作品で、わたしもその界隈に足を突っ込んでいたので、まあ見ていて。きっとたぶん今見たら絶対に感じるものが当時とは違う。だから見ようね。

 

 あと台風クラブという作品を見た。世界観と言えば世界観だが、舞台は間違いなく日本の田舎。中学生のお話。多くの人が通ってきた環境が舞台。でもどこか現実離れしてる光景が写る。1985年の作品だからなのかはわからない。けどそこだけじゃないと思う程に不思議光景が映る作品だったな。三上くんだっけ、彼の最後の言葉には考えさせられるものがあった。

 

考えていることはすぐに忘れる。

買い物しよう、何買おう、何しよう、と考えてた事があるのに実際に街へ出るとすることがなくてビックリする。忘れてんだか必要ないんだかわからない。

 

相変わらず話が飛び飛びだ。

病は気からという。わたしは献血をする度にアルコールで赤くなって「お酒弱いでしょ」と言われるのに対して本当にお酒が弱い気がしてきた。まず今までは何なんだという話にもなるが、強くはなくて弱くもないと思ってた。でも弱いっぽい。ビールはジョッキ半分飲めば身体が真っ赤になって、動悸で死ぬ。悔しい〜〜酒ガバガバ飲める人になりたい。調子の良し悪しはある。

 

思考の穏やかさ。思考が穏やかになった。お陰で感情が荒れている。ムカつく人に対してムカついてる感情を出してることが多い。でもその後は普通に接する訳で、これはこれでいいのかと思う。感情を抑えると思考が歪むような気がする。以前までというか十代の頃は思考を歪ませ感情にどっか蓋のようなものをしていたとも思える。でも感情を表に出してしまうようになって、どっか情けない、ダサい気にもなる。と、思うも今日なんかはムカつく点に対して思考で何がムカつくかはわかったからイイ。

 

昨日職場で「顔が死んでる」×3。「なんか眠そう」×1。と、言われた。

似たような事を毎日言われる。高校の頃は「顔が白すぎるのは病気か?」と授業中に先生から言われた。死んでるつもりがこれっきしもないのに死んでるらしくて笑う。毎度辛い笑笑笑って返してる。生きてます!!!!!!!!!

 

毎日あっという間におわるけどこうやって文章がたまって行くと、日々些細な何かはあるんだと感じて、淡々としていると物足りな気な顔をするのは早いなと思う。こういう思いはラーメンに浮かぶ油のように軽々しい故に、どこか毎日に淡々としていると感じる要因にも思える。こんなもんなのかな。

 

あと最近気づいた事があって、わたしは冷たいご飯が好きっぽい。コンビニのおにぎりがメチャクチャ好き。毎日2種類は食べてる。やっぱり全部門のナンバーワンおにぎりは、ファミマの明太マヨである。もち米部門ではセブンのおこわがうまい。お赤飯はお赤飯自体大好きだが、食べたくなるのはセブンで他のは食べたことがない。コンビニの話のついでにおにぎりじゃないけどアメリカンドッグは絶対セブン。そんなにおすすめしないのはファミマ。セブンとローソンは表面カリッとして香ばしく美味しい。ファミマはその点劣る。コンビニにはほぼ毎日言ってしまう。なんなんだろうかというくらいに吸い込まれてしまうよ。

 

ずっと前の下書きをとりあえず投稿

 

実家に帰る

11月5日付

「よく泣く」

先日は父親の誕生日でおめでとうって電話をした。

ものの1分話したかどうかだけど、電話を切ってすこーしだけ目から涙が出た。

最近はちょこっとうるっと泣くことが多くて、なんかさっきもうるっとした。おかんとラインしてて。

元々とてもとんでとなく泣き虫。注射とか嫌で泣くことはなかった(寧ろすきだった)が、怒られたりして、悲しかったり悔しかったりするとすぐに涙が出る。小2からバレーボールやって毎日怒られてたこともあり、人の10倍いや100倍くらいは幼少期に泣いてる。

家で怒られた時は、外出ててってシクシクしてるとねこが膝の上乗ってくるから「お前はいい子だな〜〜...」ってこのシチュエーションでもよく泣いてた。

いま怒られる環境にはなくても、やっぱりちょこちょこ泣く。特にこの歳になってくると幼馴染のおじいちゃんが亡くなったりと死が物凄く間近になる。先月の無職の間は実家にいたが、おじいちゃんに久しぶりに会って弱ってってんな〜ってのを体感して、やべえ泣きそうってなった。

兎に角いつまでも泣き虫...なのはチョット年齢的に周りに見られては困るので、涙堪えられるようになりたいってお話です。

 

ART-SCHOOL

 わけわからんくらいにアートスクールのニーナの為にを聴いてる。生活を邪魔する余計な感情を上塗りし、隙間を埋めるように垂れ流してる。

「ぼんやりと ただ淡く 絶望的なその愛で」という詩が額縁を飛び出して描かれた絵画のように美しい。

紡がれた言葉の美しさと的確さ。絶望的な愛って本当にぼんやりと淡い気がするもんな。それだ!ってほどなのに、それだ!ってならないくらいにぼんやりとしてて、染み込まして生きてる。

この曲聴いてるとそのぼんやりに浸り込んで思考が止まる。わからないことを思考することは感情を伴ってマイナスにふれたり、かと思いきやプラスにふれたりで心電図並の不安定さなので疲れてしまう。

 

 11月8日付

「哲学を持つということ。」

哲学を持ちたい。唐突だが、藤原基央さんの何が好きかって彼には揺るぎない哲学があること。(かもしれない)

(かもしれない)の時点で私には哲学がない。考えきってない。こうやって文章にする事でよくわかる。

例えば小学生か中学生のころに道徳の授業だかでやった、あなたは公共の乗り物に優先席は必要だと思いますか?またその理由を述べて下さい。といった表題に対して、なんて答えたか覚えてない。

だが多分、「どっちでもいいな〜」とか「いま電車にもバスにも優先席はあるから必要っしょ」って思ってたと思う。

キチンと考えきってない考えでしかない。例えば優先席がなかったらどんなメリットがあって、どんなデメリットがあるだろうかを考えて最も自分の中で適切だと思う考えを記す必要があるはず。

所謂、論理的や感情的やで人を表現する時わたしは紛れもなく後者。

中学生になると小学生まで書いていた作文は小論文と名を変えて文章を綴る機会が設けられるようになったが、「小論文の書き方」と題された紙切れを渡され何となく紙に書いてある手順で書いて、何となく60点ぐらいを貰って、何がダメで-40点なのかもわからず何となく過ごしていたという事に気がつく。

そしてそれはめちゃくちゃ悔しいこと。

 

そんな事を踏まえて、兎にも角にも私には思考しきるという文化がなかった。絶望的な話なわけ。

そんなことを思うキッカケになったのはタバコのポイ捨てを見かけた時。

私はこの行動がとても嫌い。小さい頃から嫌い。タバコ一本ゴミ箱捨てられないなら吸うなよ、汚さないでお前だけの道じゃない。ってずっと思ってる。今思えばタバコは嫌いじゃないが吸う人に対して、なんか目を細めら気持ちが湧き上がるのは、その幼い頃から見かけてた街のタバコや、タバコを捨てる大人からの歪みだろう。どんな人でもそれだけで幻滅してしまうほどに嫌いだったわけだが、なぜか先日見た時は何とも思わなかった。と、言うのは嘘だが、どうでもよかった。その人は新しい職場の人だがどうでもよかった。幻滅もしなかった。その中で何故どうでもいいと思ったと言うと、きっとその人なりに哲学をもってやってるんだろうなと思った。その人は大人だ。理由もなくちゃポイ捨てなんてしないと思った。逆に理由がなくてポイ捨てしてんならそれはそれでクソだし、そんな人はそれこそどうでもいい。

私は少し変わった。

前までなら、絶対に悲しんだ。怒った。「何でそんなことするんだろう」「何でそんなことできるんだろう」って、何でもクソも無いこともある。そして嫌な行動に対して何でと思うことは無駄。大人になってしまってる以上、タダでさえちんちくりんの私でもこう思うのだから見てる人は見てるよ。

 

上記のことから行動は哲学を伴うと思った。社会的にマイナスな行動って言ってしまえば感情的なモノや快楽や楽が優位に立った時、大人であれば備わってるものが機能しない時に起こる。殺人や、馬鹿みたいにでかいエンジン音で信号無視するバイクや。

20歳を過ぎてから、なかなか子どものままで大人ってなんだ、私でもなれるのか、なれるきしねぇと思ってたけど、私なりに大人とは自らの行動に責任を持つ事だし、責任を持つとは自分の責任を持つ事。社会に出た以上、私は私の行動然り発言、言動には責任を持たなくてはならない。当たり前のことだが、私は自覚が足りなかった。わかってはいたが実際出来ていたかといえばノー。だ

大人を少しわかった。そして大人はかっこいい。日本では20歳になると成人として扱われるが、22歳のいま、私は20歳から22歳の間は大人(仮)、子どもの延長線上だった。

私も早く立派な大人になれるように、すべき事をまず考える。

 

2017年になったとき書き初めで覚悟と書いた。ぶっちゃけ覚悟なんか持てずに一年過ごしてしまったな。反省。

年の瀬が近いてきた事は、暦ではなく外の空気で感じる。手帳を買った。

今年は反省すべき事が沢山ある。いま少し思い返すだけであるのだから、それを来年に生かせるようにあと一ヶ月余り、反省と来年の目標を纏めよう。

 

11月10付

「 感じる事と考える事」

表題についてGoogle検索した。感じるとは今で考えるとは過去や未来。わかっていた事ではあるが、改めて記されてるものを読み自分の感覚と擦り合わせて腑に落ちた。

いくら大事な思考をしようとも目の前で何かが起こると其方のことを感じてしまうが故、いままで思考は断片的で考え切ることが出来ていなかったのでは無いかと推測。嫌でも感じてしまう事が多かった。だが感じることは時にメチャクチャ辛くてすぐ悲しくもなってた。

多感なのは良いと思うがこれに振り回されていては、大人には近づかないからまず出来なさすぎる思考を優先できるようになる。意識的に。

 

(エビ中のシンガロンシンガソングがめちゃくちゃ好きでずっと聞いてる。)

 

続く

 

冬、浮遊、富裕

先週から急にやたら寒い。なんなら、その前日めちゃくちゃ暑かったから、騙されてるだけではないのかと思ってた。けど、暦はもう十月半ば.....早い。(10/19付け)お久しぶりです。

あと二ヶ月と少ししたら年の瀬。早い。

ところが早いという感覚が当たり前・普通に感じるようになってきている感覚もある。早いという感覚って私の場合、幼い頃に比べての感覚か体感そのものなんだろうけど、そうだとは言い切れなくて一体何に対しての早さなのであろうかと思う。この違和感は何なんだ。そもそも早いのかって話にも思える。

 

10代の頃とかそれなりに考えごとをしていた気がするけど、そんなこともなくなってる。嫌だ。嫌だというかあの頃考えていたことがどっかいっちゃってる。何だったんだろうか感。今といえば目まぐるしく移り変わる日常、お金を稼がなければ生きられない、お金を稼ぐには働かなければいけない。そんな生活の中で人の流れについていく(流される)のが精一杯で思考を巡らす余裕がない。何をしても断片的になる。そしてそれは押し流される。つまり無。

それでも久しぶりにブログの記事を書くページを開いてみたら意外と文章は出てくるもんで、ちょっぴり嬉しい。

 

仕事を辞めてから此処での時間が止まっているが、仕事辞めて次の仕事までの2週間程は実家へ帰りゆっくりして、引越して早くもお友だちが二人来てくれたり、夜行バスで新潟へ行きBUMP OF CHICKEN見て来てたりした。本当はもっと時間的には余裕があったがお金がなさ過ぎて無理だった。計画性がまずなく辞めた故。新しい仕事を初めて二週間と経った。情報量に圧倒されて、一日難なく終えられる事へ気を張りブログを更新する余裕などなかった。新しい仕事場では教えてもらう一個一個に対して、習うより慣れろの心持ちでいる。頭で理解するより体で覚える方が得意だ。

兎にも角にも、容量が一人暮らしのゴミ箱ぐらいしかない私には、駅やデパートやファストフード店にあるぐらいのゴミ箱の容量が必要だと感じている。そのくらいにキャパシティが足りてない。

 

そういえば、あっという間に寒くなったと言ったが音楽で季節を実感する。今年はフジファブリックの赤黄色の金木犀を聴く前に、金木犀が花を散らしていた。もしかしたら、ただ単に金木犀が近くになかっただけかもしれないが、聴かなかった、2017年は。

 

話しが飛び飛び。

今晩はThe Spinto Bandの1stを、目を虚ろになりながら聴いている。

昨晩の帰り道は百々和宏さんのうたうGood Dreamsを、頭を電柱にガンガンぶつけてグッタリしたい気分で聴いていた。そして寝る前にフジファブリックのクロニクルを。

、と言うのは三日前の話。 寝る前にちょこちょこ書いては下書きに保存しているが故、時を刻まず時をぶった切ってる。(更に数日後に書き出している。)

その後はART-SCHOOLを聴いている。もう四、五日アートばかり聴いてる。高校生の頃よく聴いていたバンドの一つ。当時はなんだか木下理樹という人間が怖かった。なのでアートは好きだったがどこかでハマっては行けないという躊躇いがあって、聴く時に薄い紙を一枚通じ聴いていたような感覚がある。でも改めて聴いてもすき。そして薄々気づいてはいたが、何となく木下理樹さんと趣味嗜好が似ている気がする。故の怖さだったのかもと感じている。

 

またいきなり全然関係ないが、

スピッツ、3枚組のベストアルバムの三枚目の最後の一曲。

スピッツは小学生の頃にどハマりしたBUMP OF CHICKENより前から親の影響で耳にしてきた音楽。それでも聴いてないアルバムがちょこちょこあってすきだけど自信持ってすきと言えない。聴いてないものがあるから。ってことであまりスピッツが好きだと言ったことがない。

で、この曲を聴いて、客観的にスピッツのファンは幸せだなと思った。そんで日本人として音楽ファンとして私は幸せだと感じた。胸が苦しくなってしまった。カッコ良すぎて。美しすぎる。

 

また仕事の話に戻る。人間関係編。一言で、やっぱり新しい環境って馴染むのが難しい。絶対私は浮いてるだろうし、あいつはと言われて(思われて)るんだろうなと感じている。被害妄想の思っているというとは違い、感じている。何となく。矛先が私じゃなくとも、周りの人はそれなりに周りの人のこと言ってておっかねーって感じている。怖いっていうかねちっこい、湿ってんなといった印象。そこでわたしもサッパリと振る舞うのでなく、第三者だという感じでそうなんだ〜と同じように湿っぽくなる。まだよくわかんねえ人が居るので、もう少し周りの人を見て見て生きる。

仕事編。兎に角思考していない。わからないことがわからない。ただの欠落点でしかない。何がわからないのかわからない。けど、わからない。そこでじっくり考えるとするとボーッとしてると思われる(それでよく注意を受けてきた)し、時間が勿体無いと言われそうで怖い。教えてもらってないことに対して、違うよって言われるのわりと腹立たしくてファッキンって思ってる。

 

11/1付

秋を心から受け入れた。街の空気が気持ちよくて思いっきり息を吸う。

やはりどう転がっても、寒い方が好きだ。外気が五感に馴染む。

 

それはどうでもよくない事だが、どうでもよくないと言う気持ちは対象に届く術がなければ、所詮どうでもいいにしかなりさがらないのかと思っている。

悲しくも寂しくもないが、考える事は出来るから一体何なんだろうか。

 

先日仕事してる時に思い出した事。

新潟にBUMP OF CHICKENを見に行った際、チケットを譲った方も帰りのバスで隣になった方も、当時のわたしもみんな無職だった。そんなこともあった程度の話だが思い出すと同時に元気かなと思った。

 

11/2付

アートスクールやシロップ十六グラムやノーベンバーズを聴いている。

つまりそういうことでしか無くて、疲れている気がする。コンビニで買うコーヒーも今までガムシロップとミルク一つづつで美味しく飲めてたけど、ガムシロップを二ついれても物足りない。甘味、足りない。

思えばここ最近人とまともに話をしていない。業務連絡はしているが、わたしがわたしとして考えや気持ちを伝える機会がない。それでも溢れかえるものがなかったから気づかなかった。今まで人と話しをする時はそんなものばっかだったのに、特にへっちゃらになっててこうやって年を重ねて行くのかと思うと、遣る瀬無い。生きるとは。ンなこと考えても一日は当たり前のように過ぎるから生きるけど。

 

書きたい事、多分きっとまだある。

また今度。

 

 

 

残すところあと二日

 

表題は現職で勤務する日数。9月26日をもって退職をする。

 

少しばかり慌ただしい日々が続いていて、ブログを書くことも書きたいこともわからなかったが、こんなマインドにあることはそうそうないので折角だと思い書く。

8月上旬。お盆休みで1週間近く仕事を離れていた時に、何やってんだろう感というのが改めて大波として襲ってきた。これがコトの発端。

8月半ば。深くは考えずにインターネット広告でみた求人へ応募することを決めた。応募の際に質問事項がいくつかあり、何百文字以内で書くものが数個。日々のお昼休憩で文書を作成し、一週間は費やさずに応募を完了し、書類審査待ちの段階へ。

そこからおおよそ4、5日後書類審査を通過した。メールにてご連絡があったが、正直少し忘れていたので驚いた。驚いているのはつかの間で、そこから1日くらいで一次面接。履歴書と職務経歴書を持ちスーツを着て本社。行ってみないと何聞かれるかもわからないし、というまともだがまともじゃない思考で何も準備せずに向かう。とても話しやすかった。結果については合否関わらず連絡する。おおよそ一週間という話で、結果から言うと2週間後に返答がきた。5日〜7日目くらいは正直、溜息を吐いたり、いやまだわからない!と「面接 合否 連絡来ない」などと、毎度のように検索かけて、検索結果を見るにアー落ちた。と思っていた。

しかしながら、2週間後の9月上旬。

メールにて二次面接のご連絡が入った。精神的に天と地がひっくり返った。2、3日して二次面接を受けに行った。その際はキチンと志望動機などは言えるようにと以前よりは準備をして臨んだ。言いたいことは言え、終えた。

4、5日後の9月半ば。

電話にて採用のご連絡があった。電話切ったヤッター!って言って、両手の拳を突き上げた。天気がとてもいい日だった。

翌日。

現職の上司に転職が決まった旨を伝える。9月いっぱいで勤務終了と決まる。

キリがいいので、9月26日までと言うことに先日なり、今に至る。

 

新卒で入った現職の勤続年数は0.5ヶ月。私は人並みかそれ以上には世間体を気にする。友だちにも3年は続けなよと口酸っぱく言われた。よく理解していた。けれど、こればかりはしゃーない。思考を置き去りにして行動してしまっていた。況してや、転職するとは言え次は契約社員だ。それでもいい、近づける。吸収出来る。

さて、どう転がるかわからないけど、転がってみないとわからないので、転がっちゃおうと思う。ちょっぴりスリリングで楽しみ。

 

並行していま社宅のような所に住んでいるため、立ち退かざるを得ない状況にもなった。家を探す。荷物をまとめる。お金が足りるか考える。こんなことをしたり考えたりで、慌ただしく更新ができずいた。

くるところまできたいま、記憶として記録する。

 

二十二歳。二度も住所を移すとは思ってもみなかったがいい社会勉強になっている。

がんばるぞーーーーー。がんばるぞーーーーーー!!

 

 

徘徊 つけ麺 音楽

表題ですが、最近の生活です。

徘徊/夜な夜な歩き回ってます。Instagramを始めたのでストーリーにて徘徊のご様子はご覧になれます。{(@musubu_i)フォローもフォロワーも少ないので、覗いてくれるだけでも喜びます。}散歩中は赤提灯を見つけると条件反射のごとくそちらに向かって歩いてしまう。虫かなってくらいに光へ歩いてく。コンビニもすぐ行っちゃう。アイスとかすぐ買っちゃう。ホットスナックもすぐ買っちゃう。セブンがホットスナック10パー引きしてて、これまたついついと、、やれやれ。

つけ麺/今までラーメンの脇役だと思ってたが、違う。つけ麺はサイコーだった。まずなにより、熱くないから熱いの苦手なのを回避 アンド 熱いラーメンは食べると鼻水が出るけど鼻水出ないで済む。という手軽さ。あと味が濃いのと麺は太麺が好きなので完璧だった。つけ麺はサイコーだった。つけ麺サイコー。

〜先月と今月食べたつけ麺〜

記録用で撮ってるので写真ヘボです。

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ひたすらに美味かった。一番下のが絶品でした。つけ汁が麺を食べきる頃にちょうどなくなる。つまり、とても麺に汁が絡みつく。麺はツルツル。美味。並で麺が確か300gあって、ボリュームも満点。つけ麺紀行したいです。Instagramでつけ麺(ラーメン)アカウント起動させて、つけ麺紀行したいと思ってたけど、生活範囲を知られるのに抵抗あるので辞めたって感じです。此処に記録するが丁度いい。だが、日本にありふれてる食に飽きてきたか、異国の料理が食べたい今日この頃です。タイ料理とか最近人気な気がする氏。

音楽/徘徊する際に二十分くらい歩いたところにあるブックオフへ良くいく。右に二十分で一件、左に二十分で一件。何方も品揃えとしてはイマイチだが、何があるかわからないのは無条件でいい。Last.fmの記録によると先週はよくWeezerを聴いていた。2nd。ファーストとセカンドしか聴いてないけど、ファーストとセカンドは何方もかなり聴いてる。冴えない四人なんてことない。楽器持ったらとんでもなくイケてしまうから、困っちゃう。先日買ったスペインのZA!という方の音源がかなりヤバめで心身共に乱れた。思いもよらぬほど、気軽にスペインの扉開けちゃって後退り出来なくなってる。それと、アメリカのアイランド出身のベガーズってバンドも良かった。音がクリアで澄みわたっている。買ったアルバムの1曲目はなんなら、ラーズ..でもアルバム通して正しくノイズを失ったジザメリのようでもライドのようでもあり、とても好みだ。やっぱり、好きなのは何となくで買ったCDが良かった事。ツイッターやインターネットに張り付いてたそりゃ、色んなバンドの情報が目に飛び込んでくるけど其処に加えられてる文章で興味を判断しきってしまうのが惜しい。音楽を聴く上で視覚で判断してしまうってとてもナンセンスなんではないのかな。と、思うのでラジオという情報機器は完璧。あまり聞かないが、この考えだと完璧。

 

あと表題外だと最近トレインスポッティング2をみた。レンタルが開始されて、ソッコーみた。準新作まで待とうとしてる方がいたらソッコー見ることをオススメします。

率直に感想を申し上げると、メチャクチャよかった。もう一度言わせてください、メチャクチャよかった。なんなら私は2のが好きだ。1は薬キメてハヒィ〜ってしてるのが主だったが、2は(1の終わりがあってだが)人間模様がより動く。そんで、彼らも20年の時を経て大人になってるので、1のように感情だけで動くような事なく一人一人の思考や個性がより垣間見えて、ワクワクした兎に角。相変わらずサウンドもグッジョブでサイコーでした。トレスポサントラ買いたいな、イギーポップで始まりアンダーワールドで終える作品。

あと、映画が二十二歳にして見られるようになり上半期結構見てたりするけど、この度のトレスポ2がかなりよくて上書き保存されてしまってる。他だと、デビッドボウイをモデルにした映画はとても良かった。ベルベッドゴールドマイン。後から知ったけどトレスポの人とカートが同一人物という驚き。変幻自在すぎやしませんか。ベルベットゴールドマインは、おとぎ話風に仕上がってる事に賛否両論あるが、わたしはすき。当時のUKの70年代グラムロック、デビッドボウイの衝撃というのは凄まじいいものだったのがうかがえる。遠く離れた島国で見ているからか、当時を全く知らないからか、それでもデビッドボウイという人間はおとぎ話レベルの鮮やかさを身に纏っていた人間だったとヒシヒシもガツンとも感じた。とても良かった。ボウイがモデルとなった作品だが、あくまでもボウイではないしボウイ自身、この映画に対してよく思っていなかった様。なのでわたし自身この作品を通じてボウイをすこしでも知ったつもりになる事は、躊躇いがある。それでも、当時の衝撃やムーブメントなんかはとても伝わってきて、思い伺えるのはデビッドボウイの存在。それと、イギリスの70年代のムーブメント60年代が過去になった現代で、言葉までキチンと覚えてはないが「貴方はロッカーなの?モッズなの?」的な台詞にグッときた。いつの間にやらどっちでもなくなってる時代。

 

最近の生活で加えると社会人になってから確実に睡眠への欲が落ちてる。寝ると朝になるのが嫌すぎて起きていたいのが本音。でも夜中明け方近くまで起きてると次の日がとてもとても眠くて、仕事から帰ってきたらすぐに寝てしまい、目が覚めアーもう風呂とか入ったら明日だ、ってなるの方がもっと嫌なのである程度偏りなく睡眠をとってる。 そんでもって、起きてるのに何もしないのも嫌で夜な夜な散歩してる。その最中に何か食べるのがサイコーに気分良くて、自由な時間は睡眠欲より、食欲が勝り、拘束されている時間は食欲より睡眠欲が勝る。当たり前のことのようだが、身を以て体感している今日でありました。

 

書いてなかった分を書いた。

 

 

侘び寂び

人生この先、何事もなかったかのように終わる気がしてる。それに伴い既に絶望に近い心持ちがある。音楽と服。どっか社会に馴染めないものをちょっぴり人より早く好きになったりして大きくなったけど、それを取り巻く現実に怯えや恐怖があって足を踏み込むことがなかったずっと。そうしたらあっと言うまに二十二歳。私は好きな物に対して一歩踏み込もうとする時に何かを失う怖さが優先されてしまって、希望が絶望に変わってしまう。そんなこんな。何時迄も絶望しててくすぶってクソダサい。

 

先日渋谷La.mamaにライブを見に行った。演者が入れ替わる所謂転換の時間が死ぬほど息苦しくて、ストレスで泣いてた。人があまり入っていなくて軽々しく二列目で見られるような状況。

存じ上げていなかったバンドの時はずっと後ろにいた。隅っこにいたけど、それでも同年代か少し上の女の人が周囲にいては、周り見まわすかのようにしていて、目が合う。とても冷ややかな目で、惨めさを突きつけられているようだった。こっちは何も思ってなかったけど、目が合う度に心が荒んでって、悲しくなった。ニコニコ写真撮ったりして、フラッシュの光がコッチを向いてたりと。知ったこっちゃなんかないしなんら羨ましい訳でもないのに、彼女らにの視界に入った瞬間点数つけられているようで死ぬほど心地悪い。クソほど心地悪い。女子大に行った友だちが言ってた、女はマウンティングする生き物だと。

わかってんだ、別にその人らを責めるつもりは一切ないし、きっとこの場でなくどっかで仲良くなればいい子なんだと思う。世の中に悪い人なんてそんないないって思うし、みんなみんないいところがある。そこを無視して人を自分の気分だけで評価したら、責めたりするのはとんでもなくナンセンスだ。

ただただ、とんでもないほど居心地悪くて、心地悪さの原因が女の人たちだったのは事実。好きな音楽を聴ける場に常々どこか心地悪さを感じるのはライブハウスに行き始めた頃から変わらない。居場所は無い。

 

たまたまの気分の低下。なんとかなる。なってきた。それもそれでくだらなさに嫌気がさす。この感情は偽物か?一過性か?

 

気が滅入ってばっか。泣きながら夜道歩いて吸い込まれるようにコンビニへ入り、チョコレートとどら焼きを買った。餡子が甘すぎて、なんでこんな甘いのってくらい甘かった。一瞬何もかもどうでもよくなった。

 

朝、目が覚めていっそ息の根を止めたい と思うほど、社会に出たくなくて仮病にて仕事を休む。精神が弱弱。

 

無常感がすごい。

 

ファック・シット・ヘイト

2017年夏

先日は渋谷にてClap your hands say yeahとHeaven for realを見てきました。

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轟音に包まれた数時間は、今にも干からびそうな心身に水をもたらしてくれた。つまり、と〜〜〜〜〜っても良かった。

Heaven for realはカナダ出身の昨年CDデビューしたばかりのバンド。終始、身体がユラユラ揺れて揺れっぱなしだった。

ステージにいた四人のうち二人が双子の兄弟らしかったが、目が悪い私はわかりませんでした!でもきっと、始めはベース弾いてた人が数曲やってギターの人のギターを持って、逆に始めはギターを弾いてた人が数曲やってベースの人のベースを持って歌ってたので、この二人だと思われます。このお二方が自由気ままに歌を歌うのもすごく気に入った。

楽器置いてダンスしたり、足トントンするところもすきでした。

それとメンバーの四人中三人(ドラムの方は見えなかった)がナイキのスニーカー履いてて、カナダはナイキが人気なのかな?!と思った。(私はadidasが好きです。)

 

その後に、Clap Your Hands Say Yeahでした。かなり曲数やった。もうさ、瞬き煌めく音にメロディーにを浴び続けられて、幸福感で一杯。

 このバンドは特にドラムがすきだと思った。釘付けになってしまっていた。(しかし、サポートの模様)

身体の大きな方で、バスドラムのキックの音が力強くて気持ちいい気持ちいい。例えるなら、サラサラ書けるアクロボールという1mmのボールペンで力強く文字を書いている感じです。たとえ力を弱めてもサラサラ書ける。薄れることはない。しかし、力強く書いてもキチンと書ける。それと、芯の太さは0.5mmじゃなく1mmという太めではあるものの、決して主張しすぎることはない。存在感は抜群。そんなボールペンのようなドラムだった。

ドラムに釘付けになってしまってたのは事実だが、クラップ自体とんでもなく良かった。ボーカルのアレックさんの声、表現がすきだ〜。ヘロヘロ〜〜っとしてるがどこまでも伸びていくんだ。それが愉快なサウンドに乗っていくんだ。そんな声に飛び乗ってイケイケ!大気圏の突破だ!突き抜けろ!って宇宙飛んで行きたい。

 

Heaven For Real

ヘンテコ祭り。例えばギターは手で弾くけど、この人たちは足の指でひいちゃってるだろみたいな、奇妙なポップセンス。終盤のスネアの音好き。

 

Clap Your Hands Say Yeah

ファーストアルバム収録の一曲を。コレすっっっっっっっごくドラムが気持ちよかった。

 

以上!とってもいいライブでした!

 

そんで、先ほどThe Stone Rosesのファーストを久しぶりに一周神経を震わせて聴いたら、口が開いて、渇いて、兎に角溜息吐いてた。アルバム単位で此処まで完成された作品って生まれるんだという、再認識。奇跡とも言えるけど、なんていうんだろう、例えるならジェンガみたい。よくこれで崩れないなってジェンガ。脆さでは無いギリギリさがあって、つまりはきっと究極なのかもしれないと感じた。

 

と、文章打ってたら脳みそが前後に揺れ出して、視界がグワングワンして止まんねえ。お終い。 

 

・:・追伸・:・

The Killersの来月リリースするアルバムからの1曲がMV公開された。

イントロがドラムだけだったり、ベースだけだったりのようにシンプルで、シンプルであればあるほど何が起こるのかワクワクする。し、そのワクワクに対しても引っ張れば引っ張るほど、高まる。

空気を入れ続け膨らんでいく風船に、今にも破れるッ!って状態でわざわざ鋭い針で思いっきりパンッと破られた!って感じ。まさにイントロのベースの1音目にやられたら。そして、キラーズ節炸裂してる。