トレーニングを始めた
市営のトレーニングルームに行くことを始めました。理由は単純。デブだから。
でも元々スポーツマンなので、動くことは嫌いじゃない。
そして、とにかくランニングマシンが好きで、筋トレもしたいがそっちのけで走り、疲れて帰ります。
ランニングマシンは使用時間が決められており、一時間使えるのが4台と三十分使えるのが4台あって、三十分を走りきるというつもりで走ってる。まだ二回!
先日行った時は目を瞑って走ってたら、どんどん後ろに行っててマシンが急停止してしまい、時間と距離の計測がキチンとできずだったが、今日は三十分キチンと走りきった。距離は4.8キロと5キロは走れなかったことが悔しい........
次からの目標に30分で5キロ以上走るという目標を掲げる。
5キロ以上走れるようになってきたら、距離を伸ばすというより、時間を伸ばしたい。
走り方が今は時速9.7くらいで走り出して、10分くらいから10キロ、20分から徐々に早くして行くイメージで走ってて、正直ラスト2分とかこれ以上走らないからという気持ちで精一杯にスピードあげてるので、長い時間走れるようになるのが理想かな。
いずれは、フルマラソンを走りたいという密かな目標があるので。
私はどうやら今の外見や身なりが、運動が出来なさそうに見えるらしいのですが、運動はとても得意な子どもでした。そして、そこそこ実力もあったはずなので過去の栄光で終わらせるのも悔しい!という思いで、今年中に一度挑戦したいがまあ長い目でみてフルマラソンを走れたらいいなと思ってる。
あと運動する社会人サッカー的なのは入りたいかも。サッカー出来ないから、バレーボールか野球〜〜〜〜。
スポーツは楽しい!
取り敢えず、私の人生、現時点で負け てるので勝つためにがんばる。
ツイッターを始める
タイトル通りツイッターアカウントを作りました。
〜私のインターネット遍歴〜
12歳(2007):tea cupチャット開始
13歳(2008):リヴリーアイランド開始
14歳(2009):前略プロフィール 開始
15歳(2010):mixi HP 開始
16歳(2011):Twitter 開始
17歳(2012):tumbler 開始
18歳(2013): (ツイ廃)
19歳(2014): :
20歳(2015): (???)
21歳(2016): 引退
十年の歩み。今は亡きティーカップチャットでは音楽の部屋に入り浸り、小僧ながら楽しんでいた。正直いまでも戻りたい場かも知れなくて、恋しさある。
ただ、そんなこんなで過ごしてしまった青春時代に激しく虚無を感じ、一昨年から去年にかけてツイッターアカウントを消してインターネットを引退した気でいた。
けれど、またはじめちゃうよ。友だちが欲しい〜〜。ツイッターうまく使えなく楽しめない自分に腹が立つ。楽しみたい。
@musubu_i
彼方から此方への通行はしないように、記事を載せるようなことはしない。あくまでも此方から彼方への一方通行でやっていきたい。何卒。
わたしがすきなブログ
久しぶりに食べてしまった。痩せなくてはと決めた日以降、だいすきなラーメンを食べてこなかったけど、折角という思いで食べたよ!美味しかった。とてもボリューミー。中太麺を濃厚なつけ汁につけて啜る。添えてあるすだちを麺に絞れば、お口に爽やかな香りが広がり鼻に抜け、脂っこさを回避している気になるのでとても良かった。
帰り道はルンルンしながら、andymoriを聴いた。最後の武道館をみた日の方が遥かに記憶としては新しいのに、そのずっと前に見た野外でのandymoriを思い出していた。六年前の夏の話だね。
掴まれて離さないような感覚じゃなくて、磁力で引きつけられてしまってるかのように、雨降る中ポケーーーーッとジワーーーーーンと見てた。瞬く間だった。
部屋着にandymoriを着る!
ところで、度々はてなブログを辞めてはまた始めてみたりを繰り返しているが、わたしがすきなブログは、淡々と一瞬が切り取られていたりするものがすき。
一瞬の感情でも、体験でも、思考でも。
特に、音楽といった芸術の領域に対するそういうものをみるのがすき。
有益であるような記事、ディスクレビューやおすすめアーティスのまとめは、新しく音楽を聴く機会にもなるし、何から聴けばいいか手探りの状態に出会うととても参考になるので、常々有り難く思う。そして、その世界中に散りばむ音楽を一つの観点から纏める事が出来る人は素晴らしい。
客観でありながら主観。主観でありながらも均一性が保たれるものを選べる才能。
何がいいたいかと言うと、嗜好とは主観で、必然的に偏りは持つもの。
だって、音楽が好きって言って、じゃあ何が好き?となったときに「ロック」「アイドル」「洋楽」などと、答える。
自分の五感で捉えた物を、評価する難しさたるや。自分の定規しかない状態で評価というものをしてしまう怖さ。
だから、私にはディスクレビューやおすすめアーティスの紹介といった事が出来ない。微塵も。
少々大袈裟になってるが、ニュアンス的にそういうブロガーにはなれない。に、近い。
このアルバムの何曲目がすきだな〜〜ってのを、こっそり書くくらいがいい。
けど、そこに共感を多少なりとも求めてしまう私は愚かである。
いずれにせよ、
絵描きにとっての絵や書道家にとっての書、小説家にとっての小説がどんなに輝いているものなのか知りようもない。
美はそれぞれの心の中に現れるものだ。
自分を主張することはあるし、時にぶつかることはあっても、人の心の中までは知り得ないのだ、という謙虚さをいつでも持たなくちゃいけないなと思う。
何がその人の中で起こってるのか、想像はできても実感できない。逆に、人からなんと言われても自分が美しいと感じたものは美しい。
それは人に認めてもらうものじゃない。
そっと心の中に抱いていればいい。
小山田壮平さんのブログを読み。
改めて、そっと心の中で抱き続けていようと思いました。
ミー
大の字に手をいっぱいに広げている女の子がすき。カワイイ。カワイイ。とてもカワイイ。
絵を見て、感じた事を言葉にしようとも言葉になりきらない何かや、目の当たりにした圧倒感を受け止めるだけで精一杯だった。
今もそんな感じに溜息ばかりついてる。
あと大っ嫌いなツイッター初めようかなって。友だちが欲しい。すきなおんがくに「いいね、いいよね」くらいの会話ができる友だちが欲しい。
誰かに説明して聴いてもらうほどでもなく、お互いの好きが合致する瞬間がすき。君には君の音楽であって、わたしにはわたしの音楽なはずだから。それだけで十分。
ここ一ヶ月でよく聴いていたであろう、アーティストとアルバム。
ハマるとそればっかりを聴いてしまう。とにかく偏ってる。
つい一週間前までくらい、The KillersのMr.Brightsideが気付けば頭をグルグルしてあのイントロが欲しくてしょうがなかった時期があって、いつもそんな具合に突如訪れる何かがある。
Mr.Brightsideの前はThe Strokes-Under Cover Of Darknessをその感覚でよく聴いていた。聴いてる。アルバム単位では、曲数として群を抜いている、Someone Still Loves You Boris Yeltsin-The High Country。こうなるとおもて面になる曲は違うな、と思わざるを得ない渦中にいたことを自覚する。
改めてMr.Brightsideの映像。兎に角何もかもがいい。映像の色彩も表情もストーリーもカット割りも。そして音も歌詞もメロディーもいい。jealousy〜。
その類で最近リピートしてたのはクラムボン-ジョージ・SISTER JET-ヘブン・OGRE YOU ASSHOLE-レインコート辺り。ただ、キラーズやストロークスほどではない。
とりあえず引き続き、スピントかサムワンスティルなんちゃらを聴いてしまう予感。
参照:Last.fm
ね
例えば、お金を破り散らかしてきっと人々は目を細めてわたしを見る。
わたしだって、目の前でそんな事している人がいたら目を細めてしまう。けれども、今お金を破り散らかしてみたら、心臓の高鳴りが抑えられる気がする。